Hot Bunny Diner : AFE取材記


 前回の取材記でパーティー・イベントが開催された会場と、そのオーナーにお話を伺いに行った。愛知県豊田市のHot Bunny Dinerである。

 オーナー店長のTomoさんには前回の取材記、Bunny’s Pinup Partyの際に初めてお会いして即刻取材申し込みをし、快諾いただいていた。第一にこの素晴らしい内外装のダイナーを作り上げたのは一体どんな人なのだろうという興味から、第二にピンナップガールという概念について伺ってみたかったのである。

Tomoさん近影

 この店舗は昨年の9月に別の場所から移転してオープンされたそうで、言われてみればどこもかしこもぴかぴかに新しい。ステンレスの板をあしらった外装は地元の業者さんに頼んでも話がスッとは進まず難儀したという。

 コンセプトの「アメリカをそのまま持って来たい」の通り、店内は床のタイルから壁掛けの時計に至るまで趣味よくまとめ上げられている。店舗は空間プロデュースなのだな、と改めて思う。

 写真を撮る人間の場合、写真展を開催するとギャラリーの空間をどう使って来場者に体験させるかの能力が問われるというのをよく耳にする。私は写真家を志向していないので自分で写真展をやろうと思ったことはないが、確かに写真展をやっているのを見に行くと、写真のセレクトから配置まで写真家本人が決めねばならず、そのあたりから含めると一大事業と感じる。

 Hot Bunny Dinerは「こだわり」と言ってしまえば一言で終わってしまうのかもしれないが、どこに何をどう置いて、というのがすべてTomoさんの采配で行われているのがよく分かり、なるほど店も人を表すのだ。

旅行好きから

 Tomoさんはもともと旅行好きで、中でもアメリカが好きで何度も訪れているという。思い切りアメリカンなダイナーをやるきっかけはそこにあった。メニューも現地で食べて感銘を受けたものを導入している。

 日本からニュース越しにアメリカを眺めていると、凄惨な話ばかり流れて来るので極端な人だけで構成された恐ろしい国という感じがするが、実際に行ってみるとあらゆる人がいるから振れ幅が大きい、という意味でたしかに極端だし、「普通の人」「平均的なアメリカ人」というのがあまり見当たらない。海外に出たアメリカ人観光客は常にどこでも短パンであったりと比較的見分けやすいのだが、アメリカ本国では不思議と平均を取るのが難しい。そんな彼らの間に共通するのは不思議な楽天主義である。

 なにせ国民の大多数が貯金ゼロ、下手をすると多額のクレジット負債を抱え、さらに国民皆保険もあるようなないような状況にも関わらず、明日への希望に溢れた人たちである。アメリカ製ドラマの登場人物たちも、ドラマに登場する時点ではにっちもさっちも行かなくなっているどん詰りの人間が多いが、逆に考えればその状況になるまで楽しく生きているのである。日本人であれば、もっと手前の時点で深刻な顔をするに違いない。

 Hot Bunny Dinerにもそんな楽観主義が活き活きとした色使いから見て取れる。前回のAFE取材機で紹介したBunny’s Pinup Partyの際も店内にいるだけで行ったこともないフロリダにいるような気がして気分が高揚するように感じられた。

前回の記事でタトゥーを掘られていたのがこのフェリックス。

ピンナップガール

 Bunny’s Pinup Partyは、実はピンナップガールが主体のイベントだった、というのは、イベントを取材を終えて帰ってからじわじわと分かってきたことであって、正直なところ私自身はそこが理解できていなかった。

 Tomoさんは見ての通りアメリカ文化に親しんでいる人ではあるものの、ピンナップガールを始めたのはつい最近のことであるらしく、ダイナーを作ったのだから、そこに同好の士に集まってもらい、アメ車にも来てもらってピンナップガールをやれば楽しいに違いない、という目論見でパーティーを企画したとのこと。

 ではそのピンナップガールとはなにかといえば、Wikipediaの辞書的な解釈をベースとしながらも、現代日本では「アメ車と一緒に写っているちょっとセクシーなおねえさん」というのが典型的であるらしく、画像検索してみるとそういう結果が並ぶ。

 もともとはバーレスクダンサーの名刺代わりとして、という話なのだが、女性単体で写っているものよりも車やバイクと一緒に写っているもののほうがそれらしい感じがする。イメージの変遷には様々な理由が想定できるが、一番の原因はピンナップ写真を文字通り壁に留めて鑑賞することがほとんどなくなり、車やバイクの雑誌や販促カレンダー等に活躍の場が移ったことのような気がする。

 日本の写真界隈では、成年向けコミック雑誌の巻頭に掲載されているようなグラビア写真を英語圏に向かって紹介するのに、グラビアといっても印刷の名前だから通じないしなあ、というのでPinupの語を使うことがあり、写真の内容はだいぶピンナップ的でないものの、語源から見れば正しい。

 写真でいうと英語圏で女性が写った写真のジャンル分けは日本と違い、portraitから始まってglamourだの何だの、もっと細分化されているようで、写真としてのpinupは「1950年代のエッセンスを取り込んだ女性性を強調したポップな写真」というあたりで落ち着いているようである。またアメリカでは特に車両と一緒に写っているものがピンナップとは決まっていない雰囲気だ。

 Tomoさんに、リアルピンナップガールの皆さんの間では、そのあたりどういう風に定義付けされているんでしょう……と相談してみたが、Tomoさん及び界隈のピンナップガールたちの間でも、おっさんたちがフルオリジナルの旧車に拘るような形での「これがピンナップ」「これはピンナップではない」という区別の仕方ではないらしい。

 たしかに歴史家ではないのだから、オリジナルかどうかに拘っても意味がないのだ。

 今は2023年、1950年代からはもう70年近く経っており、ピンナップの歴史自体、1930年代には萌芽があったというのだから下手をすると100年近く経過している。それをそのまま再現して喜ぶのはそちら方面のオタクか学者であって、現代日本の50’sおよびアメリカ文化愛好家に求めるものではない。

 むしろ、1950年代のアメリカの文化が2023年の日本でどう解釈されているのか、また日本の事情に合わせてどう変化しているのか、それは意識的に変化せざるを得ない変化もあるだろうし、無意識のうちに日本ナイズしている部分もあるだろう。その差分を見える形にしていく方がルポとして面白い。

 突き詰めれば、日本家屋に住んで納豆と焼き魚の朝食を食べた後で、リーゼントを結ってアメ車に乗って出勤しても良いわけで、その折衷の境界が、特に外部の視点で眺めた時に興味深いのだ。

2023年・日本のピンナップガールを撮ろう

 というわけで、Tomoさんに相談して現代日本でピンナップガールがどう解釈されているのかをカタログ的な形で写真に撮ろう、と新たに小さな企画を立ち上げて帰宅の途についた。

 お忙しいところ取材に応じていただいたTomoさんに感謝するとともに、アメリカ50年代愛好家をどういう角度から写真と文章にしていくか、新たな可能性を見てエキサイトしている次第である。


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