画質は身近なものほどシビア


 当ブログ内で写真の画質について何度も何度もしつこく言及しているが、では画質はどういう時に最も強く求められるだろうか?

 私見として、写真の画質に対する要求は見る人にとって身近な被写体を撮った時ほどシビアになるように思う。逆に被写体が見慣れないものであるほど画質に拘りがなくなる傾向があるようだ。

 人間にとって身近な被写体は食べ物と人間である。両者とも人間にとって種と生命の存続のために重要だから欲望の対象になりやすいし、よほど変わった環境にいるのでなければ毎日目にするものだ。
 だから食べ物や人物を撮るのがメインの目的になる場合は遠慮なく高画質な機材を持ち込むことにしているが、先日の記事で書いたような旅スナップの場合、私は食べ物も人物もほとんど撮らないのでそういう意味では画質をある程度切り捨てることが可能なのだ。

 旅先を撮って人に見せる場合、旅先の景色は撮る私にとっても見る人にとっても珍しいから意味があるわけで、食べ物や人間のような親しいものとは対極にあるから、常にスペック的な意味での最高画質を求める必要はないように思う。

 画質とは、要はパッと見た時に「きれい!」と感じさせる力のことだろうと思う。
 ほとんどの人は写真の画質になど興味はないし、画質が優れていると言われても、隣に同じものを同じ光で撮ったサンプルを置き、見比べるでもしないと判断のしようがない。
 私も写真を離れてしまえばあらゆるものに対して素人だから、例えばワインの評価をしろ、とグラスを差し出されても不可能である。グラスが2つあればその差異について、なんとかレベルの低い評論をひねり出すことが出来るかもしれない。

 だから画質というのは基本的に隠し味のようなもので、自分が被写体として設定した被写体を、思ったように見る人に印象付けるための装置として捉えた方が良い。常に最高画質で挑むのも良いが、高画質な機材は詳細に見せすぎるきらいもある。風景写真であればひたすら細かく見えるのが歓迎されるが、それが全ての写真に求められるわけではない。写真を撮る上で、とくに構図の面で省略の大切さは日々痛感するところだが、それは画質の面でもいえるのかもしれない。

 写真をやらない人にとっては意外かもしれないが、カメラやレンズを評価する際、画質そのものを表す指標はない。

 一応解像度というものがあって、どれだけ細密に光のマップを記録できるかという性能値はある。たとえば最近発表されたNIKON Z7は4689万画素である。この画素数は、センサーの36*24mmの面積を4689万個に分割して小さなマス目を構成しますよ、という意味であり、この数字が大きければ大きいほど細かく記録することができ、高精細な写真を撮ることが出来る。

 4689万画素は2023年現在、高画素と呼ばれる分類に入る。1000万画素クラスが低画素機、2400万画素あたりが中庸、それ以上が高画素機という感じで分類されているが、これはカメラのセンサーの画素数が年々大きくなっているので現時点ではそうだ、というだけでしかない。10年前は2000万画素でも高画素と呼ばれていた。

 では画素数がどんどん大きくなることは、すなわち画質の向上を意味しているだろうか?

 その答えは、一応イエスである。現実のモノを細かく分割して詳細に記録できるのは再現性の点で優れている。高精細な写真は鑑賞環境を整えれば、高精細であるというだけでインパクトを与えることが出来る。
 ただ、画素数は2000万画素を超えたあたりから人間の肉眼で捉えられる限界を超えている印象で、デジタル写真世界の人間はむしろ、肉眼で見られる景色を超えた精細さを写真に求めているのである。これは絵画には不可能な写真ならではの特権といえるかもしれない。

 ここですでに、肉眼で見たままに忠実であることが高画質なのか、それとも肉眼を凌駕したSF的な世界をもたらしてくれるのが高画質なのか、という点に、画素数は答えることが出来ない。人間の脳に情報を届けるには時に大胆な省略が必要だが、誰も明確な答えを持たないまま、ただ技術が進み、日進月歩で数字が大きくなっていくのみである。
 特に最近では写真も映像も高精細過ぎることに疲れてLoFi(Low Fidelity=低忠実度)を求める人が増えている。それは脳が省略を求めている証拠だ。技術が進むのは基本的に良いことだから高精細化が悪いわけではない。むしろ写真表現はこれからいかに省略するかが画質の面でも問われるのかもしれない。

 また画素数以外に画質を表す指標はあるかというと、メーカーから発表されるカメラのカタログスペック上には存在しない。ISO感度いくつからいくつまで常用できる、というような数字もあり、一般的に感度は上げれば上げるほどノイズが出てきて画質を低下させるのは間違いないが、本当にノイズが増えるのか、どれだけのペースで増えるのかは指標化されて公表されるわけではないので分からない。さらにはノイズが増えたから低画質なのかというと「場合による」としか答えようがない。

 色についてはどうかというと、デジタルカメラの画質テストをするサイトで扱われることもあるが、色は画質に関わるところで一番好みが強く影響するので再現性が高いからといってそれが高画質とは限らない。実際にカメラを買い、使いながらそれらのレビューを眺めていると、それら評価サイトで画質を定量的に表すのに腐心しているのが分かりつつも、実際に使用した上で受ける印象とかけ離れているのを感じる。

 私はYouTubeでカメラのレビューをすることがあるが、「しゃべる職人系」という立場からスペックに拘ることなく、その道具がどう使いようがあるのか、どう使うと心地良いのかの観点から評価するに留めており、絶対的な指標を作って画質を評価するようなことはしていない。やらないというより出来ないのだ。現在のところ有効な方法がない。

 こういった点を踏まえると、撮る側にとっての画質というのはユーザー各自の目の前に現れた写真データがその人の用途、好みに合うかどうか以外にないし、中身としては案外あやふやなものである。見る側にとっては選挙と同様、気にならないに越したことがないものでしかない。

 ただ、私がカリフォルニアのフリーウェイをレンタカーで走った時、カーステレオから流れて来たAC/DCが異様に気持ち良かったこと、またそれを鮮明に覚えていることのように、直接の音質と音楽体験の素晴らしさは関係ないし、もう一歩踏み込めばカーステレオから流れて来た”You Shook Me All Night Long”の音源がレコーディング/マスタリング段階でしっかり作られていたからこそ、時間も場所も超えて酷い再生環境でも人の心を揺さぶったのだろうと思う。

 撮る側としては画質も情報を作る上で重要なファクターであり、だからこそカメラ選びに対する悩みが尽きないのであるが、見る側にそれが伝わることはあまり期待していない。ただ結論としての写真を目の前に提示するだけだから、純粋にそれを楽しんで欲しいと願っている。


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