写真の扱い方を変えるには


 こんにちは。前回のジャーナルブログでは、橋本環奈さんの例を挙げて「写真は自分が撮られて嬉しいかどうかだけで判断するともったいないぜ」というお話をしました。

 今回はそれの続きとして、じゃあ写真をどう捉えれば良いのか? というお話をしようと思います。

 前回の話もそうなのですが、話題のメインは「写真を見る人にとってどうか?」でありまして、わたくし普段は写真を撮る人たち相手にあれこれ発信することが多いのですが、前回と今回の記事では、日本社会全体での写真の扱い方がもうちょっとこなれてくれると皆幸せになれると思うんだけどな、という独断と偏見に基づいた意見を、とくに写真を見る側(使う側)に向けて発信しております。

ポテンシャルはすでにある

 写真って面白いもので、よほど変わった撮り方をしたものでない限り、写真に写っているのは「そこにあったもの」であります。

 つまり山の写真なら実際に山はあったのでしょうし、それが人間であってもケーキであっても、実際にないものを写すということはあまりありません。何かを売るための商業撮影の場合、イメージカットといって直接商品やサービスを写さずに、概念や気持ちを伝えようという場合もありますが、まあそれは一旦横においておくことにしましょう。

 もしあなたが商品や人、地域など、何でも良いんですが何かを世間の人たちに知ってもらいたいと思われたとしたら、ほとんどの場合その商品や人や地域を誰かしらが写真に撮ることになるでしょう。つまりポテンシャルはすでにそこにあるはず。写真は「ただ写る」のではなく、そのポテンシャルをどう表現するかが大事なんです。

 橋本環奈さんも奇跡の一枚とか言われましたが、あの奇跡の一枚を撮られたから急に可愛くなったわけではなく、すでに可愛かった彼女の素晴らしい一面をカメラマンである博多のタケさんが鋭くとらえたんですね。
 しかしこれは逆にいえば、橋本環奈さんが素晴らしいポテンシャルを秘めていたにも関わらず、奇跡の一枚が撮られ、その写真が全国的に広まるまでは、もったいないことに彼女の可愛さに気づく人が少なかったということです。

 彼女の人気を爆発させた力はどこから来たのか? それはまさに写真の力だったといえるでしょう。

 逆にいえば、どれだけ人や地域や商品が爆発的に売れるポテンシャルを秘めていたとしても、それをスパッと切り取って知らない人の前に「ほらよ」と提示する写真の力なくして世間に知れることはありません。偶然の口コミ人気爆発を期待するのは、白馬に乗った王子様を待ち続けるようなものでありまして、私も若い頃にバンドマンをしていたのでそういう気持ちは理解できますが、利用できるものをガンガン利用して欲しいんですね。

 そもそも写真以外に、1秒どころか0コンマ何秒で「お!」と思わせるツールなんてありません。動画も文章も音楽も、時間がかかり過ぎるんです。写真に近いのはデザインとイラストですね。

越境させる力

 今の時代、写真は誰でも撮れます。お尻のポケットからスマートホンを出してピロリーンとやれば、JPGなりのデータがすぐに固定されて、写真いっちょ上がりですよね。だからこそ、自分で商売をやっている人が「より良い写真」を求めず、こんなもんでええじゃん、と適当な写真を商売に使ってしまうことがよくあります。

 しかしより良い写真は何かが違うわけです。何が違うか? それは情報を越境させるパワーが違うと私は考えます。

 たとえば商店街に小さな和菓子店があるとしましょう。店主が新商品を開発し、ああこの和菓子をもっとたくさん売りたいな、と思ったとします。そこで新商品をスマホで撮って店のサイトやFacebookに流したとして、写真が伝えられることはどの程度でしょうか。

 情報というのは、店を経営している家族、従業員、常連さん、そう常連でもないんだけどたまに店に来る人……というふうに、リアル和菓子店との関係が希薄になればなるほど伝わりにくくなっていきます。そうして同心円状に関係性が薄まれば薄まるほど、写真に限らず、その和菓子店から発信される種々の情報に対して反応しにくくなっていくんですね。

 もしも写真に写っているのが我が子であれば、どうということのない日常の1シーンであっても「ステキ!」となりやすいですが、写っているのがよその国のぼさっとしたおっさんだったとしたら、何の親近感も抱かず「知らんがな」とスルーしたりしますよね。これは皆さん無意識にやっていることです。

 よく撮られた写真は、リアル店舗を知っている人と知らない人の境であったり、商店街の中の人と外の人の境であったり、店に訪れたことのある人とない人の境であったりの様々な境界を超えて、「そういう素敵な和菓子がある」ことを伝える力があります。

商売上正しい写真の見方

 商売で使う写真であれば、商品を撮った写真はシビアな他人が見るものであることが前提で、そこを理解した上で「とはいえ何千万円もかけておれんわ」と予算を削っていくのが正しい考え方、手順と思いますが、そもそもそこまで行っていないパターンが多く見受けられます。

 先述の和菓子店の例でいえば、店から離れ、関係性が希薄になればなるほど、和菓子の写真を見せられても「だからどうした」になっていくのは明白なのですが、店主は「自分の店の」「自分の作った和菓子」「自分で撮った写真」という風に、自分軸で写真の価値を計ってしまう営業写真的な写真の見方をしてしまい、それが他人から見た時にどう見られるかを想像できなかったりします。

 つまり、子供の写真で例えるのであれば、「うちの子かわいい」の写真と、「この子、5歳なんですがキツイ現場でも音を上げず根性が入っているんでおたくの新作映画にいかがでしょう、水中でも爆発でもスタントまでこなせます」みたいな宣伝写真を混同してしまっている、ということ。そこをビシッと分けて見られるようになるのが、商売繁盛につながる写真の見方です。

 和菓子屋の店主であれば、「この和菓子の写真、うちの店を知らない人が見た時に『食べてみたい!』と思う写真かな?」という見方が正解です。

 もちろん世の中の人すべてがパーフェクトであるわけがありませんから、店主が日々の業務をこなし、経営者をやり家庭人をやりながら、かつ完璧な宣伝広報マンであれ、というのはちょっと酷だと思います。予算が大きいところは広告代理店を雇ったり、社内に広告部門を専業スタッフを雇用して回していたりするわけですが、個人店であっても、いまだ知らぬ人たちに情報を受け取ってもらうためには、自分の商売で使う写真を他人の目で見ることが何より大事と思います。

 商業写真は言い換えると商売用の写真です。下世話にいえば儲けるための写真、ということ。

 この考え方でいくなら、より良い商業カメラマンはより儲かる写真を撮ってくれる人ですよね。ですからそういう目で商品の写真を見てもらうと、やっぱりスマホ写真ではよほど偶然上手く撮れない限り、人に伝える力が弱いんです。

 機材は用途に合っていればなんでも良いのですが、きちんと美しくしつらえて撮った写真を比べてみると、後者は間違いなく同心円状に店との関係性が希薄になっていく中でも、写真の力で「素敵なモノだよ」というのを伝えることが出来ます。こうなるとより良い写真とは何だ? という疑問も生じてきますね。またそのあたりもやりましょう。

食べ物写真めっちゃ苦手

稼ぐためのツール

 長々と書きましたが、要は写真を稼ぐためのツールと認識して、うまく用いてもらうと商売繁盛になり、日本全体が豊かになり、私のところにもお金が回ってきてハッピー、という風に思います。

 商業写真は「いかにグッと来る写真にするか」を目指してカメラやレンズや照明なんかをいじくって撮影していくわけでありまして、それは結局のところ商品やサービスをよりたくさん売ってハッピーになるためのものです。基本的にものすごく即物的な世界です。

 わたし個人でいえば、営業写真の世界から商業写真の世界を経て、今度は概念を売り買いするアートの世界に興味を持っているのですが、それぞれの場で写真の見方が違っています。というか、それぞれのジャンルでの写真の見方をマスターすれば、写真を撮る側としても、その写真を使う側としてもど真ん中を行けるようになると思うんですね。

 是非商売をされている皆さん、良い写真を使ってより遠くに情報を届けて下さい。それぞれのジャンルに適性を持った商業カメラマンおよびフォトグラファーがたくさんいます。

 それではまた!


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