フリーホイールの片山さんとこにお邪魔

 こんにちは。ポッドキャスティング計画は進んでおりませんが、取材撮影はちょいちょい行かせてもらっております。

 先日、Youtubeで「仕事人を撮りたいから声をかけてほしい」とメッセージを広めたところ、「うちに撮りに来ませんか」と声をかけて頂いたのが、このフリーホイールの片山さんでした。

 サイトを拝見すると、バイクやトライクの製造や販売をされている会社だそうで、もともとバイク好きな私としては強く惹かれるところであります。

 メールでやりとりしていたところ、片山さんは音楽、特にHMのジャンルがお好きな上に、私のYoutubeチャンネルをご覧いただいていたくらいなので写真もお好きとのこと。こりゃお会いして話が盛り上がらないわけがないわ、と事前から楽しみにしておりました。

主旨

 主旨といいますか要旨としましては、このジャーナルブログでは「おしごと」をテーマとして扱っていきたいと思っています。コロナウイルスの影響や、私が体調を崩していたのでご近所徘徊スナップ日記みたいになっておりますが、本当はそこが狙い。

 働くひとの姿を撮ることで、また働くひとにお話を聞いて思ったことを書き記すことで、人と仕事の関係性、それを包含する社会のありかた、また可能であれば他所の国の人たちとの仕事観社会観の違いなんかにも、いち職人である私の視点から切り込んで行けたら面白いなあと思っております。

さて

 実際にフリーホイールへお邪魔してみました。

 入ってすぐにベスパ風のバイクがお出迎えしてくれまして、しかしこれはピアジオではなくLMLというインドのメーカーのものだそうです。のっけからマニアック。

 片山さんは一言で表現してしまうのが不遜な気がしますがバイク好きが嵩じてバイクの修理、改造、販売を手掛けておられまして、その延長でバイクを改造したトライクの製造販売改造も手掛けておいでです。

 こういう人物の説明って難しいですね。私も聞かれれば「まあカメラマンでしょうか」と答えますし、まあ趣味の延長で写真で食うようになっちゃったのは確かなのですが、なかなか一言ではまとまらないものです。

 片山さんとはお会いして瞬時に打ち解けてしまったので、そういう生い立ち的な部分から話し込んでしまいました。

 実際に手掛けておられるトライクはこちら。

 これらすべて、よくあるハーレーのトライクみたいなものではなく、車椅子のまま乗れるトライクです。世の中にほとんどないものを自力で作っているので、アイディアは片山さんの脳から、そして実際に作ってみて考えて、という繰り返しだそうです。

 だからといって「私は! 障害者の皆さんのために!」というお涙頂戴の話ではなく、ないものは作ってしまおうホトトギス式で楽しんでおられるのがよく伝わってきます。もちろんこういったものは公道を走ろうとすると、日本の岩盤規制と闘わざるを得ないことによくなる……というのは簡単に想像がつくところで、そのあたりについては片山さんも血圧がグッと上昇されている様子でありました。

片山さん説明上手!

 いや実際、私も最近バイクに乗りたくてしょうがないもので、暇さえあればあちこちのバイクレビューを見て回っている状態でして、片山さんのところにお邪魔した時はハンターカブやクロスカブ良いじゃない、と思っておりました。

 このブログを書いている現在は同じくホンダのCB125RとかCB250Rなんかが良いよねなんていう風になっておりますが、車椅子に乗っておられる方は単車に乗ってみたいと思ってもおいそれと乗るわけにいきません。だって乗れるバイクがないんだもの。

 そこを「じゃあ車椅子ごと乗っちゃえば良いじゃん」という発想が素敵ですよね。お役人サイドはどうしても規制を強化しようとするので、そこをぶち破ってやろうじゃんという気概も実に男らしい。私も見習わないといけません。

 色んな人が少しずつ、おかしいなと思うことと闘うことが社会の健全化に繋がると思うんですよね。闘わない方が楽ですが、そうすると規制する側の人だけが得してしまいます。

 もちろん規制する側がすべて悪などということはなく、大事なのはバランスですよね。議論は利害が対立する二者間で調整をするために行われるもので、どっちが勝った負けたの問題では本来ありません。

 そういうのが青年の潔癖な目から見ると「父さんは汚い!」って見えたりするんですが、どちらかが相手の絶滅を狙っても物騒になるばかりですからね。みんなでバランスを取りましょ。

 実際の車椅子トライクは、とりあえずバイクを買ってきてぶった切って繋いで行くというスタイルのようでして、片山さんの工場にはきれいに整頓された鉄ちん加工用の道具がずらりと並んでいます。

 工場を撮るのは楽しいなあ!

 当日は「伴さんにお土産持たしてやるよ」と鉄板の裏に三脚穴を付けたミニテーブルを作って下さいまして、その様子をパチパチ撮らせてもらいました。

 切る! 削る! 穴開ける! 溶接する! という。

 しかも片山さん、こういう金属加工は40歳を過ぎてから勉強して身に着けられたそうで、意思の男なんですね。

サンドブラスト中の鋭い眼光

 いや眼光は鋭いですが片山さんナイスガイですからね。気に入らない奴とは商売しねえよみたいなところは思わず「先輩!」と呼びそうになるくらい同じ種類の人間だと思いますが、別に人当たりがきついわけじゃありません。

努力?

 お話していて感じたのは、世の中こう、「努力してます」「努力しよう」みたいな話が多いですが、我々職人タイプの人間はやりたくてしょうがないというか、やらざるを得ないところに自分を追い込んでしまうようなところがあります。

 ひとつ技術を学び始めると、寝ても覚めてもそればっかしになるんですよね。
 これは写真でも金属加工でも料理でも同じだと思うんです。技術を習得するというのはそういった情熱というようなきれいな言葉では片付けられない執着まがいの気持ちがあると思うんですね。

 そういう意味で、職業だからこれをやっている、という職業職人の人ももちろん世の中にたくさんいるのですが、生粋の軍人と職業軍人の違いみたいなものなのでしょうか、生き方と考え方が職人になってしまっている人間からすると、職人的な発想や身の振り方が他人から奇異に見えても「まあ職人ってこういうもんだからね」という部分があります。わからん者にはわからんでええよー、というような。
 社会的にはひょっとすると無責任なのかもしれませんが、技術の中身について責任を負うからこそ、そういう気持ちになりがちかもしれません。これはこのジャーナルブログで長期的に扱うテーマの一つにしたいと思います。職人的な思考とは? 職人的な人格とは?

 そんなこんなで、13時に伺って、1~2時間くらいで帰るつもりが、だいたい8時間くらい話し込んでしまいました。趣味も考え方も合う二人だったので時間がいくらあっても足りません。

 バイク、メタル、ニコンとネタはいくらでもあるので、また是非とも遊びにお邪魔したいと思っています。

 片山さん、お世話になりました!

作っていただいた鉄のミニテーブル

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