写真を飾ると立場が変わる


 Artgeneで写真を販売していてふと感じることがあった。写真は販売することを考えると撮影時と同様、飾ってもらうのにも共犯関係の構築が重要らしい。

 作品は購入者が買うまで、作者か販売者が購入者すなわちクライアントに「これこれこういう作品で……」とあれこれ説明するのだが、クライアントはその作品を持って家に飾り、そこへ客を呼ぶと、今度はクライアントがその客へ「これこれこういう作品で……」と説明する立場になるのである。

 この立場の転換というか伝染のようなものの発見は私にとって意外なものだった。クライアントが来客者へ作品の説明をする際は、主題はもちろん「なぜ自分がその作品を買って飾っているか」になるが、撮影者はある意味クライアントに弁護されるような立場になるのである。グラビアアイドルのポスターのような即物的なものでない限り、そうでなくてはわざわざ飾る意味がない。

 写真を撮って仕上げている間、私の頭の中には社会に対してどうこうという大それた考えはなく、まずはただ写真を鑑賞する人がどう感じるか、何を受け取ってもらいたいかを考えながら撮ったり現像したりしている。撮影のあれこれが噛み合って「これは良い写真になりそうだ」という時は、その写真を販売することを考え、クライアントになる人がどう飾るか、飾ってどう生活が豊かになるかということに思いを馳せる。

 だがその写真を飾った人が、来客に対してどう説明するか、説明しやすい写真かどうかについては考えたことがなかった。

 もちろん作品はインテリアの一部だから、クライアントが来客に対し、家や部屋、ひいてはその主である自分をどう見せたいかによって戦略的に選択されるものだろうと思う。だからこそ作品はそのクライアントにとってどういう位置づけのものなのか、理由が必要なのである。

 一番分かりやすいのは、見知らぬ女性の写った写真を飾るか? と考えることだ。来訪者に「なぜその女性の写真を飾っているのですか? そもそもその人は誰ですか?」と聞かれるのは飾った人であり、その部屋が社会性の高いものであればあるほど、それに納得のいく回答が用意出来ている必要がある。突き詰めると税金で運営している場所に飾るものは、議会なりの場で飾る理由を説明してもらわねばならないのだ。これは最もハードルが高い。

 こうやって購入する人の立場を考えながら作品を作るのは、女性に言い訳やポーズをとらせる余地を残しながら誘いをかけるのに似ている気がする。

 以前Facebookかどこかのショート動画で流れてきた映画「The Tourist」からの抜粋で、ジョニー・デップがアンジェリーナ・ジョリーに、食事に誘う方法を指南される小粋なシーンを思い出す。

 アンジェリーナ・ジョリーが演じるのがエリス、ジョニー・デップが演じるのがフランクである。

2:47からのシーン。

 エリス「フランク、私を食事に誘ってみて」
 フランク「何?」
 エリス、黙ってフランクを見つめる
 フランク「僕と食事に行かないか?」
 エリス「女性は質問をされるのが好きではないのよ」
 フランク「僕と食事に行こう」
 エリス「ちょっと強引すぎるわね」
 フランク「一緒に食事はどう?」
 エリス「それは別の質問」
 フランク、しばし考える
 フランク「これから食事をするから、良かったら一緒に来てほしい」
 エリス、微笑む

 作品を販売することを考えるならば、見る人の気持になって撮ろう、の先に、飾る人の気持ちと立場を考えねばならない。考えてみれば自分が見て「これは飾りたくなるな、飾りやすいだろうな」と感じる作品は、そのあたりの配慮が行き届いているのである。

 好きなものを撮る、好きに撮ることと両立させつつ、「写真を撮るから、良かったら飾って欲しい」の気持ちで行きたい。


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