最近つくづく、自分も含め、世間の写真あそびのほとんどは「すげえ写ってらあ」を楽しんでいるだけなのではないかという気がしている。
だから絶対的な画質が何より優先で、下手をすると写っているものよりも画質が大事、ということになりかねない。私自身すぐそうなってしまうし、物凄く楽しいのは間違いない。
本末を転倒するからこそ趣味というのは面白いものだが、これが仕事になるといきなり「中画素で十分」「なんならAPS-Cで十分」「レンズもそう大口径のものは要らない」ということになったりする。
たとえばイベント撮影。暗いところで撮るからといってセンサーサイズを大きく、レンズを大口径にしたところで、ぽわぽわに前後も周辺もゆるい写真は見た目がもう趣味的だ。犠牲にするべきポイントはそこではないのである。
最近EM10Mk4を購入し、求める機能がほぼ完全に揃い、かつMFTセンサー搭載機としては(私が求める方向性において)最も限りなく画質が良いものだからフルサイズ機の優位性がグラグラ揺らいでいるところである。
人物撮りなど絶対的な画質が求められるところでは今後も遠慮なくフルサイズ機を持ち出すつもりだし、下手をするともっとセンサーサイズの大きなものを手に入れる可能性もないではないが、それでMFT機の居場所がなくなるということはない、と確信した。
写真を見る側は撮る側と正反対のプロセスで見る。これに気づいている撮り手は意外と少ない……というより、撮り始めると光の速さで純粋に見るだけの立場を忘れてしまうのである。
見る人は機材などどうでも良いから写り味は隠し味でしかない。ボケの存在にすら気づかない人がたくさんいる。
同じ食材を全く同じ方法で調理して、隠し味だけ変えた時に、その変化に気づくのは料理を食べることよりも調理に対してより興味を持っている人間だろうと思う。写真を、カメラをやっている人間はどうしてもそちらに興味を持ってしまうが、初心に還れば還るほど被写体が占めるウエイトが大きい。
ただ、隠し味とはいえセンサーサイズが大きいことにより得るものは確かに大きい。
ボケが大きければすなわち画質が「良い」のかといえばそうでもないだろうからその点は措くにせよ、センサーサイズが大きい方が全体的に画質は良い。それは自動車やバイクでいう排気量が大きいのと似ている。
排気量が大きければ直線ではまず間違いなく速い。
他にもあれこれ利点はあるし、車種によっては排気量の大きさを乗り味のゆとりを感じさせる方向に振ったものも珍しくないが、排気量が大きいことと直線で速いことは概ねイコールである。そして下手だろうがバカだろうが排気量さえ大きければ小排気量車を直線でぶっちぎれるし、その快感というのは何物にも代えがたい。
MFTのような小さなセンサーで苦労した期間が長ければ長いほど、大きなセンサーのカメラを使うようになると過去の意固地な自分が何だったのだろう、あの苦労は一体何のためにしていたんだろうと思ってしまったりする。
条件を変えて「いや直線でもこうすれば」とやり始めるMFTユーザーが結構いるが、それは条件の設定がそもそも間違っているのだ。大エンジンを搭載した大型車両では取り回しに困るような路地に引きずり込む条件設定をしないと意味がない、何より自分が納得できていないと使っていて面白くない。
直線が速いことはそれだけで一つの価値である。頭は悪いが顔が良い、というのと一緒だ。大センサーも小センサーも、どちらも代えが利かないのだから、それぞれ利点を活かせる場を見つけて幸せになれる方法を探る方が建設的である。