2022年6月、宇和島に働く人の取材に行ってまいりまして、今日はその際にあれこれ感じたこと、帰って来て記事としてまとめたりなんかした際に考えたことなんかを書こうと思っとります。
いきさつ
実際の記事の中にもちょいちょい書いておりますが、YouTubeやなんかで「国内、海外問わず取材撮影がしたいので受けてちょ~コーディネートしてくれる方も希望~」と呼びかけておったところ、写真仲間のしげさんがコーディネーターをやってやろうと名乗りをあげて下さいまして、ハフハフしながら行って参りました。
一度スケジュールを組んでもらったものを、オミクロン株の大流行で一度キャンセルしたこともあったのですが、6月の終わりになんとか本番にこぎつけまして、陸路を自走して行って参りました。
目的
わたくしカメラマンとしてこの10年以上飯を食ってきた人間でして、写真を撮ること自体はまあ問題なく出来るのですが、どういう写真を撮ってどう見せるのかという企画立案側の能力がまだまだ備わっておらず、実践していく中で撮りながらどうするべ、と考えながら進んでおりまして、今回は贅沢にも取材先を与えていただいたおかげで、自分に何が出来て何が出来ないか、何が足りていて何が足りないかしっかり検討する機会になりました。
足りているのはとにかく写真を撮ることですね。どういう状況でも、これまでの経験があるので全く問題なく写真が撮れます。もちろん深夜の洋上で完全な真っ暗闇の中撮るみたいなことはなく、ほぼ日中で、かつ半分ちかく自然光が使える状況でしたから、余計に困りません。とりあえずちゃんと写すという点では役目を果たすことができました。
反対に何が足りないかというと、やっぱり企画力の面なのかなあ、と思います。企画編集力と言い換えても良いかもしれません。単純に撮る、書く以外のすべての部分です。そういえば資金繰りも苦手ですね。
こういう紙面を作りたいからこういう素材を撮るんや、こういう文面にしたいから現地で取材時にこういう情報を押さえておこう、みたいなことは、今回(当然ですが)後から記事化するにあたり、なるほどライターとして書くならこういう情報が必要、エッセイとして書くならこういう、てな感じで現地で押さえておくべきものというのがあれこれ分かりました。
以前noteに書いた「ウラジオストク訪問記」は限りなくエッセイに近く、なぜかというと現地では取材もへったくれもなく、ひたすらうろうろしてスナップしまくっていたので街と人を眺めて「はー」と感じるところを書く以外になかったのですが、今回は仲介を得て現地の皆さんとけっこう話すことができまして、より深く宇和島という土地について知る機会がありました。
ただ行って撮って帰るだけでは、宇和島市街は埋立地が多く……みたいなことは土地そのものを紹介するわけではないのでスルーしてしまっていたかもしれません。
帰ってきて自分で記事を書きながら宇和島についてGoogle検索してあちらこちらのブログを見せてもらうと、歴史系のブログは特に情報の厚みが凄く、いやはや太刀打ちできないなと舌を巻きます。歴史みたいに自分が強みを持っていないところで勝負しちゃダメですが、記事化するのであれば最低限自分が取材させてもらった土地について知っておく必要はあり、それを現地の皆さんから仕入れさせてもらえるのはやはり良いことですね。情報がリアルですから。
そして得た現地との繋がりを記事に反映するか否か、さらにいえばどれくらい紹介記事としてきちんと成立させるかというのが問題で、旅行ライターをやっているつもりがない私からすると、そのあたりに「どの程度やったらええのか」という迷いが生じた点はありました。
つまり、宇和島良いとこだよ! というのは実際に訪れた実感として間違いはなく、宇和島以外の皆さんにもおすすめしたいなあ、遊びに行くと良いよ、と思うのですが、それを記事としてどの程度織り込むのかが難しいんですね。やってやれないことはないのだけど、それをやるために記事を作っているのかというとちょっと違うし、という感じです。
職人であること
わたくし結局はアーティストではなく職人ですから、職人ライターとして自ら職業訓練すれば旅ライター的なことも出来ないことはないと思います。ただそれが求められるかというと、そんなことはないよなあ、と思うんですね。わたくし残念ながら旅自体べつに好きではないんです。必要があって移動する、その途中に良い景色やステキな体験があったら「ありがとう」ではあるものの、そこを目的にしていません。写真を撮るのが楽しいんです。
難しいのは、たとえば宇和島入りする前日に立ち寄った八幡浜というところでは喜び勇んでガリガリを撮っておったのですが、八幡浜の皆さんからすれば取り壊し出来ずに放置している廃墟やなんかを喜んで撮られても……という気持ちになることが容易に想像できるわけで、一時期流行ったダークツーリズムみたいに「冷やす」側に効果を発揮してしまう情報を喜んで発信してしまうわけです。このジレンマは関東近郊を撮っていても常にありますが、取材先では特に強く感じます。
また同時に、取材先の選定を考える際、写真を撮る職人が他のジャンルの職人(的な)仕事をしている人を撮って勝手に考える、という形に落とし込む手法を早く学ばないといかんな、という風にも思いました。どういう職業にも職人的な側面がある筈ですが、写真の面でも文章の面でもそれがきちんと成立するようにしないといけません。
それには明確に自分が職人であるという立場で取材するべきなのかもしれません。宇和島取材時は、自分が何者なのかが気を抜くと見失われかねない状態でした。宇和島観光記事を作るレポーターをやっているのか、写真作品を撮りに来ているのか、などなど、実は「取材して写真を撮る」といっても色んな立場でできちゃうもんですから、最終的に「俺は写真職人。よその職人さんを撮って写真作品にしつつ話を伺って職人の立場で記事を書く」という立ち位置を自覚、堅持する必要がありそうです。というかそういう立場でないとこのブログのコンセプトが成立せんな、という感じ。取材時は手にマジックで書いておきたいくらいです。
普通は職人ものの取材写真ってその職人の作っているものを売る前提で取材することが多いと思うのですが、そこから外れ、対等な立場にある職人が直接聞いて自分の媒体で発信するからこそ面白みが生まれて来るはずで、そこをより強化しないといけません。そこ以外に特異性がありませんから。これはアーティストが相手であっても職人が相手であっても、職人「的な」仕事の領域を取材して撮るという意味では同じなのかもしれません。
取材先選定の先に、対象にどうこちらの意図を伝えて撮らせてもらい、話を聞かせてもらうかというのが大事なんだなあ、と強く感じたのが宇和島取材の大きな収穫のひとつです。
海外に出りゃまた話は別
また宇和島は直接日本語でコミュニケーション可能な皆さんが取材対象であり、私も好奇心が強い方ですからあれこれ伺うことが出来てしまったのですが、考えてみたらこれ海外では出来ない手法ですよね。
海外取材の際は、国によりガッチリコーディネートしてもらわないと取材が不可能そうな国と、通訳さんをお願いして「あの人に撮らせて欲しいと頼んで欲しい」で撮れちゃう国があるのだろうなと想像するのですが、どちらの際も直接はコミュニケーションが難しいわけですから、言語的なアプローチは間違いなく減ります。
そうなった際にどう記事化するかはまた別の課題になってくると思いますが、それはそれでやってみないと分からんですし、その違いをどう見出すかが楽しみでもあります。
感謝のみ
何はともあれ、今回は宇和島へ呼んでくれたしげさんに大感謝です。
また現地でパンクした際に助けて下さったしげさんの親父さん(親父さんも写真が上手いんです)、タイヤ交換とパンクの際に飛んだヒューズの交換をして下さったなんよタイヤサロンさんにもお世話になりました。困った時に助けてくれた方は私の中でヒーローに見えますわ。
まだまだ宇和島の魅力を掘り尽くせていないので、また機会を作ってお邪魔したいと思っとります。その際は職人さん撮りと観光情報をはっきり分けちゃった方が良いんでしょうね。観光情報的には写真のスペシャリストとして参画させてもらうのも楽しそうです。
次回取材はどこになるか分かりませんが、少しずつでも歩みを進めて行きたいと思っておりますので、読者の皆様もご支援よろしくお願いいたします。
それではまた。