写真は麻薬


 このブログを紀行文寄りにする試みをしてみよう、と心に決めて以来、台北で、パリで、ウラジオストクで、自分が何を考えながら写真を撮っていたか思い返してみている。

 思い返してみると、我ながら信じられないほど写真を撮ることしか考えていなかった。それも感性の問題ではなく、撮影作業の範疇のことばかりである。やはり私は写真家ではなく、カメラマンをやっていたのである。

 では紀行文というのはどういうものだっただろう、と沢木耕太郎『深夜特急』や開高健『オーパ』、三島由紀夫『アポロの杯』など読んでみると、どれも著者が実に詳らかに現地の様子を観察し、活写しているものばかりで「俺は一体何をしていたんだろう」という気持ちになる。

 野球選手があのホームランを打った時のこと、と特定のプレーについて質問された際、結構な解像度でその時の気持ちや状況を思い出せるという話を聞いたことがあるが、そういう意味では自分の中で印象に残っているカットについては詳細に覚えているものもある。

 例えばこのカットを撮影した時は昼間歩き回って疲れたので台北駅前のYMCAホテルに一旦戻って休み、明日もう日本に帰るから最後に夜スナップでもとカメラを持って出かけた時のもので……という風に覚えている。

 撮影のことしか考えていない変態の頭の中を言語化して詳細に書き綴ることで需要が生まれることもあるのかもしれないが、やっているのは基本的に撮影作業であって創作活動という感じではない。どんな創作活動も細分化していけば作業になるのは間違いないが、そもそもの取り組み姿勢として、私の中では別物のような気がしているのだ。また単なる作業の結果を作品でござい、アートでございと人前に出すことに対して自ら納得できない。

三昧

 撮影をする際、作為であれこれやるのは共同作業で写真を作る場合がほとんとで、知らない土地でふらふらとスナップしているのは三昧の状態に陥るためである。

 ただカメラを持ち、何が出てくるか分からない土地で自分の勘を頼りにふらふらと歩き回り、自分の感性に訴えかける光やモノを探す。発見して解釈して二次元に固定する作業を繰り返しているうちに、他の何もかもがどうでも良くなってくる。私は薬物の類はアルコールも含め興味がないが、撮影をすることが薬物への依存に近いのかもしれないとよく思うし、実際脳は薬物を摂取したのに近い状態になっているだろうと思う。
 それは快楽であり、逃避であり、縋り付くロープなのだ。

 紀行文をやるのであれば、現地の詳細な観察がまず第一に必要なのは間違いない。ただ、写真を撮る行為がそういった意味で観察になるのか、文章を書く上での観察を補強する材料として機能するのかという意味では、あまり肯定する事は出来なさそうだ。あまりにそのものが写り過ぎる。写真は写真、文章は文章で別の脳を培う必要がありそうだ。


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