6000文字そこそこしかない名作


 中島敦という作家をご存知だろうか。山月記という短編が教科書に載っていたのを目にしたことがある人も多く、「秀才が自分のクリエイティブな才能のなさに狂って虎になる話」と聞けば思い出す人もいるかもしれない。

 以前、過去の作家たちの小説を読んでみようと青空文庫を訪れた際に「そういえば」と読んでみて、その精緻かつ温かみのある文体と同時に、何かを志したことのある人間であれば(そして自分の才能というものと正面から向き合ったことのある人間であれば)共感せざるを得ない主題と話の運びに感動して他の中島敦作品も読み耽った。

 そこで驚いたのは、まず中島敦の小説作品が、他の著名な作家たちと比べると極端に少ないことである。没したのが1942年なので著作権が切れており、青空文庫の中島敦ページには作品がすべて掲載されているはずだが28編しかなく、そのどれもが私の知る限り短編である。

 なにせ活動期間が短い。
 中学生の頃から書き始めていたというが帝国大学を出て大学院に在籍しながら女学校の教師になり、その後も病弱な身の上から職を転々とする不安定な状態でありながら妻子を持ち、その間に少しずつ小説を発表してようやく評価され始めたところで34歳没である。しかも34歳というのは数え年だから、実際は32歳か33歳の筈だ。職業作家として活動していた歴がほとんどないから、若い頃から職業作家をやっていた人にありがちな書き散らした文章というのが見当たらない。

 Wikipediaを見ると変化に富んだ人生だったことが伺えるが、いち読者としてはもっとたくさんの作品を残してほしかったと思う。それは格調高い文体だけの話ではなく、行間から滲み出る温かみのある人間性に共感してのことである。実に惜しい。

 こういった作者の死没による途絶というのは、作品を享受する側としてはそこで突然自分の手で如何ともし難い現実の厳しさを突きつけられて暗い気持ちになるものである。クリフ・バートンがバス事故で亡くならなかった状態の次のアルバムが聴きたいと思うメタリカファンが現在も世界中で数百万人はいるだろう。

 しかし直線上の時間にしか存在できない以上、変化が起きてしまった後はその変化を条件に組み込んで受け入れるしかない。ポイント・オブ・ノーリターンは常にたった今、刻まれ続けているのである。だからこそ起きてはならないことが起きぬよう、と年をとるほど慎重になるのだと最近つくづく思う。

 何にせよ、中島敦が病に伏しながらも、その合間に書き連ねた珠玉の作品は現時点でも日本語を第一言語とする私の脳に直接飛び込んで来て強く刺激を与えるのであるが、驚くべきはその密度である。山月記は読み始めると一気に最後のページまでたどり着き、素晴らしい読後感を与えてくれるが、実は6200文字程度しかない。それでいてあれだけの強い印象を与える作品になっているのは一体どういうことだろうと思う。

 名人伝は中島敦作品の中でも技術を扱ったものとして、極端かつコミカルでありながら技術と人間の関係を鮮やかに描いた作品で山月記に次いで好きな作品である。こちらも6000文字弱しかないが、読んだ後に自分の向き合っている芸事との関係を改めて考えさせられる示唆に富んだ短編だ。あらゆる芸事を志す人に読んでほしい。

パリの名人伝

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