コピーライティングとポートレートの関係


 ポートレートはコピーライティングのようなものだ、とよく思う。

 何かしらを説明する時、たとえば東京はこういう街だ、というのを他人に伝えようとした際、東京というのは人口1300万を抱える世界でも有数の大都市であり……と数万文字使って淡々と事実を伝えても良いのだが、売り物にするのであれば冒頭に注意を引くフレーズが欲しいところである。

 たとえば「東京は狂った街だ」「東京は美味しい街だ」「東京は死んだ街だ」「東京は可能性を秘めた街だ」というように、その後に続けるあれこれに興味を持ってもらうべく、強めの、かつ多少謎めいた言葉で注意を引くのが常套手段である。その短いフレーズをキャッチコピーといい、それを作ることをコピーライティングという。

 これは何も広告に使われるものに限らず、政治でも宗教でも、特定の言葉にアイディアを集約して象徴させ、人を動かす際によく使われる。例えば戦時中に使われた「進め一億火の玉だ」というフレーズ、日本の民族性である「いざとなったらもろとも死ぬ」というのをストレートに表していて名コピーだと思う。

 人間が何かを認知する際のプロセスを考えると、写真であっても文章であっても何かしらコピーライティング的なものは必要になってくる。何か象徴的なものをぽん、と提示されないと、人はその事物や概念を認識できないのだ。人にものを売りつける広告の場合、写真や映像のビジュアルと言葉を組み合わせ、広告を見た人にアイディアを認知させ、次に商品そのものを刷り込む流れが採用されることが多い。最初に商品そのものを見てもらおうと思っても、斬新なものであればあるほど商品を見せただけでは類似のものが世の中にまだないので理解されないのである。

 世の中、人物を売り込む必要のある職業はあんがい沢山ある。
 いちばん身近なところでいえばあちこちに顔を売り物を売り込む営業職だろうか。ミュージシャンなど人前に出る仕事も顔を覚えてもらうのが人物像を覚えてもらうよりも先だろう、というよりも人物、中身をいきなり知ってもらうのは不可能だ。

 そのため、簡単なのは人間が最初はほぼ見た目でしか判断しないことを利用して、好まれやすい像を写真にして見せることである。プロフィール写真、本来の意味でのポートレートはそのためにある。

 人間は見た目だけで判断できない、判断してはいけないのが良識であり私自身そう思うが、しかし全く知らない人間同士であれば、見た目は互いに安全、快適に過ごせる人物かどうかの判断基準として大いに役立ってしまう。見た目で人品の値踏みをするのは、上品ではないが安全のためにやらざるをえないことが多い。明らかなチンピラルックの人間にいきなり預金通帳を預けるような人間は、善人かもしれないが社会的にはまずいだろう。

 またじっくり長い時間をかけて自分を理解してもらいたい、と思うのは誰しも一緒だが、逆にいえばそれは相手の時間を自分だけのために使わせるのと同じでハイコストを求める行為である。だから見た目でメッセージを発するのは短時間で判断しやすくすることにほかならず、自他双方にとって親切な行為といえる。

 たとえばスティーブ・ジョブスという名前を聞くと、ほとんどの人は丸メガネをかけたジョブスが顎に指を添えている写真を思い出すはずだ。あの写真はアルバート・ワトソンという人が撮影したもので、ジョブスといえばあの写真、となる人が多いということは、あの写真がジョブスを象徴しているといっても差し支えない。

https://petapixel.com/2017/11/01/story-behind-iconic-portrait-steve-jobs/

 これはジョブス自身の見た目の強さに加え、写真家があらゆる点で素晴らしい仕事をしたのがインタビューからも読み取れるのであるが、良い写真は人物の売り込みに強烈な力を発揮するのである。事実ジョブスの業績を知らずとも、この写真だけ見知っている人間がたくさんいる。見た目だけでも人に知られているというのは物凄いことである。

 人間は驚くほど多くの情報を写真から読み解く。好みというのは、鑑賞者自身が意識しないままにあれこれ読み取り、過去の経験や生理的な部分と照らし合わせた結論として導き出されるものではないかと思う。

 顔つきや表情、ポーズにも当人らしさが漏れ出してしまうものだが、例えばジョブスのかけている眼鏡がもっと太いセルロイドのものだったら印象はどう変化するだろうか。髪がもっとあったら、ヒゲがなかったらなどなど、手を入れようと思えば顔つきと違ってすぐさま手を入れられる要素は沢山あるし、それら一つ一つが見る人に対して「ジョブスはこういう人物だ」というのを説明している。

 ポートレート写真を商用に撮る人間は、まさにそういった要素ひとつひとつを組み合わせ、写真技術でもって印象を導き出すのが仕事であって、家族の記念写真を撮るのとは、ある意味正反対の仕事をしているのである。内向きと外向きの違いといっても良いかもしれない。

 自分の見た目が商売に関わる人は、ぜひとも撮影前の段階から相談できる人を探して商売用のプロフィール写真を撮影してもらいたい。

沖縄ネコチャンのポートレート

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