RAW現像のご褒美化


 写真を撮る際、一般的なJPGで撮るのではなく、その処理を留め置いてRAWデータの状態でメモリーカードに保存し、後からパソコンで開いて明るさや色味などの調整作業をしている。

 その作業をRAW現像と呼ぶのであるが、私の写真趣味の中核はそこにあるので気を抜くと何時間でも費やしてしまっている。毎日遊びで撮るので毎日何時間かずつRAW現像に吸い込まれていくのだ。端的にやり過ぎである。

 最近は暑さのピークであることも手伝って、涼しいうちにと起きてすぐご近所スナップ散歩に出かけ、帰ってきてデータ転送、RAW現像してサロン向け秘密ブログを書き、そうこうしているうちに昼過ぎになるので昼食を摂り、しばらくFallOut4でひとしきり戦闘を楽しんだ後、またPCの前に戻ってグズグズしているうちに夜になり、ああ今日もほぼ無為であったと思いつつ風呂に入って寝る生活を繰り返している。生活様式だけ見ると夏休みの小学生のようだ。良い点といえば何の制約も要請もないのに不思議なくらい規則正しい生活をしていることくらいである。

 そうした人生の浪費(やらなくて良いことを好きでやっているのだから浪費と呼んで差し支えないだろう)こそが人生を豊かにする面はあるし、RAW現像のスキルも数をやって鍛えねば伸びないのは間違いないが、程度というものがある。最近は逸脱気味だ。

 何がそんなに楽しいかといえば、撮影そのものも楽しいが、撮った写真を確認する楽しみと、撮った写真に手を加えてより良く仕上げる楽しみである。確認する喜びは写真を撮ったことがある人であれば誰しも同意してくれるだろう。タワレコで買ったCDを帰りの電車の中でキャラメル包装を開いてブックレットを読んでしまうような、そんな期待感が撮影からRAW現像の間にはあるのだ。

 フィルムの時代は、プロラボにでも現像を頼まない限り、撮影してからその写真を見るまで、間に数日あるのが普通だった。デジタルは撮ってから家に帰ってデータを開くまでの時間だからだいぶ短いが、時間が短いからといって楽しみが減じるものではない。遠距離恋愛のほうが愛情は強くなるのかといえば意外とそうでもないのと一緒だ。人間というのはよほどの執着がない限り、普段は目の前のあれこれに集中してしまうものだからである。

 ただ最近、書く量を増やさねばならないと痛感しているから、この楽しいRAW現像を撮影して帰ってきた直後にするのではなく、書くべきものを一通り書いた後のご褒美設定にしたほうが良いかもしれない。そうでもしないとRAW現像および写真の管理という私にとって易き方向に流れてしまう。人によってはRAW現像どころか写真の確認すらも苦痛でしかないことを考えると卦体なことであるが、性分だからしょうがないのだろう。

 以前もRAW現像ご褒美化をやってみたことがあるが、いつの間にか忘れていた。最近まで依頼撮影と写真を教えることがメインで、スナップ自体はほぼ純粋に遊びだったからかもしれない。今後はそうも言っていられないので作品のために時間を効率よく使わねば……と少なくとも今日の時点では考えている。

何気なく撮っており撮影直後には見逃していたカットが意外と良かったりする。

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