望遠レンズを抱えて漁港へ行った。

堤防に白い鷺が留まっていた。鷺には真上からの太陽光が当たり、その後ろは設えたように暗く、鷺の白さが浮かび上がっていた。
これを見た時、鷺は自分がそんなにフォトジェニックになっていることを知っているのだろうか、と考えた。当然知っているわけはない。
人物を撮る際、その人の姿形を、時には川端康成のように顔をじっくり見せてもらってから撮る。整った顔の人と相対していると、この人は自分が美しいことを知っているのだろうかと思う。
社会的な扱われ方で間接的に自分が美人らしいと感じることはあっても、それは直接的な評価ではない。また特に若いうちは顔が整っているのは単なる幸運であり、内面の美を顔が表しているわけでもない。
当人の内面やあり方と外見は本来関係がなかろうが、人間は迷信と離れ難く、因果を見出してしまうものである。美人には美人なりの理由があり、鷺はその場所に立っている理由がある、と。
芸術とは、その因果をもっともらしく書いたり撮ったりするものなのかもしれない。
