作品を遺す

 ある日、夕暮れ時の海岸を散歩していて、先に通った人の残したサインを見かけた。

 どうやらレンガか何か、密度の低い焼き物の欠片を集めてきて、護岸の上に並べたもので、まるで忍者が仲間内でやる通信のようである。

 それを見た時、私の脳裏で、作品というのはこういうものなのだろう、と腑に落ちた。

 考えてみれば先人たちが残した芸術作品は、ただその作者の能力が高かっただけでは我々に伝えられることがない。音楽でいえば演奏家が良い例である。

 パガニーニは悪魔に魂を売り渡したと言われたほどのバイオリンの名手だったというが、彼の活躍した18世紀当時は録音技術がなかったから、彼の演奏は残っていない。残っているのは楽譜に記された曲のみである。

 つまり行為は時間に洗われてすぐに消失してしまうが、理念はとるべき形をとっていれば、行為よりは残る可能性が高いということだ。

 同じように、我々写真を撮る人間も、優れた撮影技術を有していたとしても、ただ写真を撮るだけでは残らない。作品としてコンセプトでまとまった状態になっていないと同時代人にも伝わらず、伝わらないということは残らない可能性が高い。

 これは、建築物でいえば、実際に建てたのは大工だとしても、設計した人間の理念と設計技術しか遺らないのと同じだ。サグラダ・ファミリアはガウディの作品だし、運慶快慶は仏師の名前ではなくプロジェクトリーダーの名前である。

 見知らぬ誰かに何かを受け渡したいのであれば、撮影技術や撮影行為よりもコンセプトを重視し、きちんと作品をまとめるべきだし、逆にいえばそれに足る強度を持っているのが作品と呼ぶにふさわしいのだろうと思った。


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