チェルシー


 明治のキャンディー、チェルシーが2024年の3月、つまり今月をもって販売終了となるらしい。

 幼い頃、私の育った核家族は全員が参加する貴重なイベントとして毎年スキーに行っていた。

 理由は簡単、親父がスキーを偏愛していたから家族も強制参加だっただけなのだが、思えば母はどう考えてもスキーなど好きではないのに家族の絆のため、ぐずる私を連れ、わざわざ寒い時期により寒い場所まで重い荷物を抱えて行っていたのである。

 兄はスキー自体は楽しんでいた気がするが、我が家の行事はすべて例外なく親父が台無しにすると決まっており、違いはそのタイミングがいつ来るかだけだったし、兄もそれについては常に敏感だった。

 人が楽しんでいればそれを台無しにしようとするし、従順に楽しみを放棄すると今度はそれに不満を漏らすような親父で、家族はそれにどう対処して良いか、適切な操作法を知らないままだった。それは親父自身も同じことだったのだろうと思うし、むしろ何かのきっかけで足腰が立たなくなるほどぶちのめしておいた方が当人も嬉しかったのかもしれない、と思う。

 それでも家族は無理にでも集まり、あれこれの行事をしていたから家族としての形がなんとか保たれていたのであり、その中心には常に母がいた。

 どうしてチェルシーの終売で家族のスキー旅行を思い出したかといえば、そんなハラハラと薄氷を踏むような、いつ親父がおかしなことを言い出して台無しにするか分からない、勝ちのないギャンブルのような苦痛に満ちたスキー旅行の中で、ごく例外的に良い思い出として、なぜか母がポケットから取り出して与えてくれたチェルシーがあったからだ。

 母がチェルシーを持っているのはスキー旅行と同じく毎年恒例で、時には体温で温められて包み紙がくっついてしまい、剥がれなくなっていたこともあったが、そんなことはおかまいなしにリフトに乗りながら食べるチェルシーは美味しかった。

 恐らく二歳年長の兄は兄で違った印象を持ち、違った感慨を持つのだろうが、少なくとも私にとっては、母の使っていた古びたスキー靴や、スキー旅館の乾燥室の匂いや、なぜか日が落ちてからスキーを担いでゲレンデから宿まで雪の積もった道を家族総出で行軍した思い出が、チェルシーと一緒に思い出として格納されている。

 ありがとう明治。ありがとうチェルシー。


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