近江八幡訪問記・後編


 近江八幡滞在2日目は起きると雨だった。

 前日に引き続きさして寒くもないが、朝からロープウェーに乗って八幡山の上から町を見下ろそうと思っていたので気が削がれてしまった。雨の中、展望台から見下ろしても白いもやが広がっているのが見えるだけだろう。

 とりあえず前日見ていなかったエリアを車で回ってみようとまた八幡堀の周辺へ。ちょっと下見をしたところで雨が止んだので、前日停めたのと反対側、東側の観光駐車場に停め、無人野菜販売所式料金回収システムに500円支払った。

 堀の東側から、かわらミュージアムのあたりを写真を撮りながら歩いていると、前日どこかで見かけた「堀の北側は武家、南側は町人」という区分が思い出された。
 現在、堀の両端に立ち並ぶ家々は、北側だから南側だからといって一見して明らかに身分の違いを感じるような見た目ではないが、専門家が見れば細かいところでそれぞれの名残があるのかもしれない。

 前日も夕暮れ時に観光エリアから少し外れたところを歩く機会があったのだが、とにかく町が不気味なほどきれいだ。
 それは区画整理がきちんとされいるからというだけではなく、ゴミが一つも落ちていなかったり、新築の家も町並みの印象を崩さないよう配慮されていることによる。家々の住人の、ちょっとした怠惰による猥雑さも許さない監視の目が端々まで行き届いているということだ。以前行った新潟でも同じように恐ろしく整然とした美観の維持が行われていた。

 一体どういう統制をすればこんなに足並みが揃うものなのだろうと不思議だったから帰ってから調べてみたところ、市のWEBサイト内に「伝統的建造物群保存地区内での現状変更行為について」というページがあり、さらにそこから閲覧できるPDFで実に詳細に近江八幡主要エリアの景観について現状を維持するためのルールが記載されていた。

 サッと目を通したところ、こうあるべきだという仕様については多々記載があるのだが、これに準じた時、準じなかった時の賞罰について言及がないので、土地の生まれの人であっても「私もうこんな暮らしは嫌!」と、例えば周囲に全く馴染まない南スペイン風の家を建てようとしたら一体どうなってしまうのか気になるところである。

 恐らく建築の申請をしても役所が通さないということなのだろうが、生まれてから14度も引っ越しをして故郷というものを持たず、土地も所有しない私には、自分の所有する土地に自分の好きな家を立てられず、庭の木一本切るのにも申請、審査、許可が要るなどという窮屈さはちょっと想像できないが、まあ持ち家であっても賃貸みたいなものと考えると納得出来るのかもしれない。商売でもやっていればそれなりに恩恵がありそうだが、サラリーマンとしてどこかに勤めながらこの地域の住民をやるのはなかなか苦しそうに見える。

 息苦しくないのかと心配になった理由のひとつに、整然とした町並みだけでなく、ゴミ捨て場をふと見たら「ゴミ袋はフルネーム記載で」との告知があり、捨てるゴミまで特定されてしまうのかと驚いたのもある。行き過ぎかどうかは住民の決めることだから私の口を出すことではないが、観光で訪れていてもそういうところばかり目に入ってしまっていけない。

 もっとも、先方から見れば私のように根無し草のふわふわした暮らしの方が不安定でおかしなものに思えるに違いない。人間はちょっと環境が変われば考え方から何もかも変わってしまう生き物だ。私はただよそから訪れただけの人間であって、地元の人の生きざまについてどうこう言う立場にない。

 そんなことを考えながらまた八幡堀の周辺を歩き回っていると、雲が切れて晴れ間が覗いたのでロープウェーに乗って八幡山の山頂に行ってみることにした。

 9時から16時まで、15分ごとに出発するロープウェーにギリギリのタイミングで滑り込むと、同乗していたのは関西圏から来たらしき青年たち6人だった。そういえば滋賀県も立派に関西だが、現地の人とほとんど会話していないから地元の言葉を聞いていなかった。

 どうも大阪から来たらしきイントネーションの青年たちの話を聞くとはなしに聞いていると、どこかの学校の同窓生で、年に1度集まって旅行しているらしい。
 付き合っている人の話や仕事の話、参加していない誰それの話、という感じでてんでバラバラに好きなことを話しているが、学生時代からの気安さが残りつつも、みな社会人になって微妙に距離を感じる、あの頃とはもう違うのだ、もう戻れないのだという戸惑いが見えて、同乗しているおじさんは甘酸っぱい気持ちになった。

 展望台から見下ろすと、ブライダル界の巨人、桂由美プロデュースの「恋人の聖地」モニュメントの向こうにひっそりと近江八幡の市街が見えた。思わず脳裏に、東京は乃木坂の苺ショートケーキのようなビルが浮かぶ。この恋人たちの聖地という企画、日本のあちこちで見かけるが何となくバブルの臭いがするし、どういう意味があるのかよく分からない。スタンプラリーでもするのだろうか。

 雲が切れたばかりで寒々しい景色ではあったものの、山のふもと、八幡堀のあたりから近江八幡駅までまっすぐに伸びた通りが冬の光を反射して鈍く光っていた。その様子は町の中心部が城下町から鉄道の発達に伴って移動したのをそのまま表している。

 今も暮らしている人がたくさんいるから、八幡堀周辺を旧市街と呼ぶのは少し変な感じがするが、世界中どこの旧市街であってもだいたいは人が住んでいるものなのかもしれない。では何をもって旧なのかというと私は正確な回答を持たないが、あんがい雰囲気で決まるものなのかもしれない。

 八幡山をぐるりと巡る遊歩道を、ようやく冬らしく吹き付ける寒風に晒されて鼻水を垂らしながら歩き、またロープウェーに乗ってふもとまで降りると、愛知の自宅まで寄り道もせず帰った。

 さて紀行文として24時間そこそこの近江八幡滞在をまとめ、そのために何が残っているかと検討してみたところ、物理的にも印象としても、一番強く残ったのは納税促進の肉マグネットだ。最後に残るのは近江商人のたくましい商魂ということなのかもしれない。

 旅の最中は何が最後まで印象に残るか分からない。
 振り返ってみれば、台北に初めて行った際はサンドイッチを表す「三明治」という表記が面白かったり、アメリカに行った際は路傍のコンクリートブロックの大きさに感心したりと、時間も金もかけてわざわざ遠いところまで行っているのに、我ながらつまらないことばかり覚えている。だがそれが印象というやつなのだろう。

 そういう意味で、記憶にまつわる人間の生理と紀行文の関係が少し分かったのが今回の近江八幡行の、実にささやかでプライベートな収穫であったといえよう。


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