メモによれば2024年1月14日は自宅を8時20分に出発、空はすっきりと晴れ渡り、青が目に痛いほどだった。気温は低いが2023年の殺人的な長い猛暑の影響をひきずった太陽が照りつけるので寒さは大して感じない。
名神から北陸道へ高速道路を乗り継ぎつつ、サンデードライバー達に揉まれながら走っていると息吹SAのあたりで道路周辺に雪を認めた。ノーマルタイヤで来て良かったのだろうかと逡巡したが今更遅く、あとは降雪や凍結がないことを祈るのみである。
いったん写真仲間が鳥を撮っているという湖北野鳥センターへ向かうと、そのあたりの民家や車の屋根にも雪が残っていた。そういえば今年初めて見る雪だ。人間を40年以上やっていると雪を見ただけではしゃぐことはないが、それでもなんとなく珍しいものを見た気持ちになった。
野鳥センターは一体どういうものかと思っていたら、琵琶湖付近に生息する野鳥の剥製の展示があったり、ガラス越しに野鳥を見せたり撮らせたりする施設だった。
鳥が好きな子供に連れられた親なのか鳥好きの親に連れられた子供なのかよく分からない親子連れが何組もいて、みな穏やかながら楽しそうにしていて好ましい。
写真仲間たちはセンター内ではなく、湖畔で大鷲を狙っているというのですぐさま移動したところ、狙っていた大鷲は餌を穫るために一度移動したものの、すぐに離れた場所へ移動してしまったのだそうだ。ネイチャー撮影はひたすら待つのがメインになるのに加え、運の要素も大きいから大変だ。
写真仲間の様子が見られたので、すぐさま近江八幡に移動することにした。湖北野鳥センターからは40㎞弱。琵琶湖の湖岸道路を走っていれば着く。
この湖岸道路、右手に近づいたり離れたりする琵琶湖をチラチラ見ながら走るだけなのだが、妙にすっきりした清潔な印象の道路で走っていて楽しかった。周辺の建物の密度でいえば常滑の農村も似たようなものだと思うのだが、道路が湖岸から少し離れても意図的に情報量が減らしてある感じがして、演算の負荷が小さそうな印象である。
近江八幡には昼過ぎに着いた。昼食などという概念はない。
普段であればいきなりそのまま何も考えずに写真を撮り始めるのだが、今回は一応紀行文のための取材だから、近江八幡という土地柄を少しでも理解するために資料館へ行ってみることにした。
観光駐車場があったので510円払って車を停めると、駐車場の係員をやっている地元の老人が「地図をどうぞ」とビニール袋に入った紙の束を渡してきた。
地図というには分厚いが、と見てみると、カラーコピーして滲んだ地図に近江八幡の観光パンフレット、あとは3冊のふるさと納税誘致用パンフレットが入っていた。着いて早々、なにも見ていないうちからいきなり金の無心をされた気持ちになる。
さらにおまけで入っていた「ふるさと応援なら近江八幡市」というキャッチフレーズが肉塊の上に載せられた謎のノベルティグッズにはさすがに笑ってしまった。そのキャッチフレーズと肉塊が印刷された紙が幅15cmほどのプラスチックのケースに封入され、両端にマグネットが埋め込まれている。どうやら冷蔵庫にでも付けて朝晩拝めということらしい。
のっけから近江八幡の流儀に軽く圧倒されつつ、駐車場から歩いて1分、近江八幡市立資料館に行ってみると、受付で有料と言われてまた戸惑った。
市の資料館は基本的に市が見せたいものを外に向かって見せるもの、知ってもらって存在感を高めるためのものだから無料というイメージだったが、資料館だけで300円というのは判断に苦しむところである。そんなに面白いものがあるのだろうか、料金を取るということは観る者をエンターテインする義務が発生するのだが大丈夫だろうかと心配になる。
まあそうは言ってもこちらは観光客である。普段どこへ行っても写真を撮り倒して帰ってくるだけで、それが観光誘致の手助けになる面があるとはいえ、現地に積極的に金を落とさないのは申し訳ない気がしていたから、払うこと自体は吝かではないし、どこであれ入って初めて分かることは沢山ある。
資料館、向かいの旧伴家住宅、裏手の旧西川家住宅とまとめて3箇所分で800円支払って回ってみたところ、内容的には市の資料館が質、量ともに最も乏しく、中身を確認せずに払うなという教訓を近江商人から異邦人に与えるためのアトラクションになっていた。
人によっては300円でヴォーリズが改築した建築物に入れるのだから安いものと感じるのかもしれないし、私もそう方向づけてくれたら気持ち良く「そうかよく分からんがこれがヴォーリズか」と体験する気持ちになれたかもしれないが、資料館についてはやはり市が見せたいものを見せて金まで取る、という印象を覆すほどのものではなかった。
近江八幡に滞在していた間そこら中で目にした「近江商人」というフレーズ、実際に訪れるまでは全く意識していなかったのだが、町のそこかしこに書いてあるということは、彼ら自身が外に向かってそのイメージを打ち出したいのか言い訳として体よく使いたいのか、どちらだろうか。私自身の体験からは、とりあえず近江商人とはフェレンギ人のようなものだと想像するしかない。
資料館界隈の3つの中では旧伴家住宅が一番良かった。
建物外観も内観も渋く、また必要以上にごてごてと説明書きを付けずすっきり整理されており、落ち着いて往時の暮らしに思いを馳せることが出来た。料金を払ってまで観るのであれば、この旧伴家住宅だけで良い。
二階からは辻が見下ろすことが出来、ああ当時の人たちもこうして道行く人を眺めたのだろう、と珍しく旅らしい気持ちになった。
さて、資料館あたりを回った後は八幡堀を見物に行くことにした。
恐ろしくきれいに整備された「古い町並み」を抜けて行くと、資料館から歩いて5分もしないで堀の一端にたどり着く。
この堀は豊臣秀次が築城した際に造り、琵琶湖と接続して防衛のみならず商業の発展にも大いに寄与したという。現在でも石垣とともにきれいに保存されており、カメラを片手に歩いてみると気持ちが良い。
カメラマンの習性で、こういうところを訪れると撮影に都合の良い立ち位置を探してしまうのだが、堀は旧八幡城の南側全体が周辺の住居や店舗含めて雰囲気よく整備されており、どこから撮っても良い感じに撮れてしまう。
写真としては近江八幡の観光エリア全体が非常に映えるスポットで、実際に私もカメラを手に嬉々として様々な角度から撮った。非常に整然としていて、このきれいさは令和ならではのきれいさなのか、それとも江戸時代からここまで整っていたのか。恐らく前者なのだろう。土木工事の技術も現代の方が遥かに進んでいる。
八幡堀を歩く人はあまりいなかったが、堀に沿って東側へ写真を撮りながら進んで行くと、堀の真ん中を南北に渡された白雲橋を渡る人がけっこういて、その先は八幡山のふもと、日牟禮八幡宮である。
この日はこの後、また八幡堀に戻って写真を撮りつつウロウロしていると日が暮れてきたのでホテルへ引き上げた。
ホテルは近江八幡駅の近くで、風呂トイレ洗面台がユニットバスでひとつになっているものではなく、すべてバラバラに設置されている珍しいタイプのものだった。
日曜だから毎週恒例のオンラインサロン向け添削配信を行い、写真のデータをノートPCに取り込み、メモをまとめていると、旧伴家住宅で観た左義長まつりの記録映像のことが思い出された。
左義長まつりとは、近江八幡で大々的に執り行われる年に一度の祭りのことで、3月の中頃に、町ごとに山車を作って近江八幡を練り歩き、山車同士でどつき合い、最後は燃やしてしまう勇壮な祭のことである。若い人がたくさん参加していたのが何より印象的だった。近江八幡は若い人たちが地元にちゃんと留まっているらしい。それだけ若い人たちにとって将来性の感じられる土地ということなのだろう。
近江八幡歴1日の私の感想は、偏執的なレベルで整った町並み、近江商人の強い商売っ気、地元の人たちが祭りに熱心に参加する自治体のあり方という3点でまとまった。この印象を引きずったまま、近江八幡探訪は2日を迎えることになる。
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