Amazon Prime『世界の車窓から・特別編集版』に俺の旅情が掻き立てられている

 こんにちは。以前よりAmazon Primeに加入してあれこれ映像作品を観て楽しんでいるんですが、先日『世界の車窓から』が入ったというので観てみたところ、このジャーナルブログで旅を話題にしていた私の方が「うおおお旅に出たい!!!」と胸をかきむしる事態になったのでご報告したいと思います。

 世界の車窓からは既に放送開始から30年以上経っているそうで、テレビを全く観なくなって久しい私であっても知っているくらいですからかなりの名物番組のはず。通常は本当に車窓から、つまり車内からの映像がメインだったような気がします。テレビを見ていた頃はすでに10何年以上前で、当時は写真をやっていなかったので映像に関しての記憶が曖昧です。

 この特別編集版は、1話1時間とゆったりしたもので、どこからどこまで、と大きく鉄道で移動しながら、その合間にある名所、景勝地に寄って観光案内もしてくれるというもの。これが実に良いんですわ。

 まだ第1話のスイス・アルプス地方と、第2話の南仏しか観ていないのですが、すでに虜です。鉄道に全然興味がないのに。

映像

 映像はCDウォークマンが登場したりとちょっと古いものが多いようで、スイス編は空撮の映像を沢山使っているのでドローンかな? と思っていたところ、途中でヘリによる空撮なのが判明しまして、なるほど予算をしっかり使ってんなあ流石はテレビ、と感心しました。

 しかし車内のシーンも車外のシーンも、普通にテレビカメラという感じの映像で、特段映画のように美しい~! という映像ではありません。画角的にも制限があり、我々でいう35mm程度までしか広角が使えないのかな、という感じですし、ジンバルでぬるぬる、みたいなカットも別にありません。でも最高に良いんですね。

 なぜなら旅を感じるために必要な情報がきちんと揃えて提示してあるから。

フォーカスしているもの

 バブル期のフュージョンバンドが演奏しているのかしら、という感じのBGMに乗って、男性のナレーションで進行していくのが世界の車窓からの特徴なのですが、どういう情報を扱っているのかしら、というのをブログ運営者の目で注意深く探ってみると、まず鉄道の情報から始まります。
 どこからどこへどういう電車に乗って行くよ、という案内。次に車内の模様がこんな感じで、という映像。そしてどこかの街に着くと「この人口何万人、古くは交易の中継地として……」みたいに観光情報をきちんと差し込み、列車を降りてから案内するのは、各地の名所、景勝地。

 と同時に、車内の人々、降りてからは街の人々をガンガン写して「こんな感じで人々が暮らしているよ、過ごしているよ」というのを毎度毎度押さえているんですね。面白いのは、どんどん次の土地に行ってしまうからでしょう、現地の人の暮らしにフォーカスして……とドキュメンタリー方向でぐいぐい掘っていくのではなく、飽くまで旅する人が同じ車両に乗り合わせたり、観光名所の公園でよその国の観光客と軽い会話を交わしたよ(しかしその情報はナレーションによるもので、実際に話しているシーンはない)、というのが続きます。そういえばTV版の世界の車窓からもそんな感じでしたよね。

人とのちょっとした交流

 自分自身が海外に写真を撮りに行った際、そのへんで買い物をしたりなんかして、たとえばパリで宿舎近くの八百屋にバナナを買いに行って店の親父がナイジェリアから来たんだ、って聞いたりなんかして、そういうのって自分としては特にどこかの媒体で使うわけでもないので、写真に撮ったり、旅日記に出したりというのはしてこなかった気がするんですが、紀行文なんかを読んでいるとそういう情報が何より旅っぽいもんなあ、という気がしてきます。

 日本だとそういう交流ってなかなか厳しいものがある……ような気がするのは私が東京ナイズされてしまっているからで、東京から離れて、とくに西の方に行けば行くほど、そのへんの人たちに話しかけてOK、という空気がありますよね。アメリカに初めて行った際も、「そのへんの知らない人同士がめっちゃ話してる!」と衝撃を受けたのをよく覚えています。

 ハリウッド映画なんかに出てくる、偶然その場に居合わせた人同士のエスプリの利いた会話みたいなものは、東京を舞台に設定すると「んな東京人いねえよ」っていうことになってリアリティがないのですが、アメリカでは本当にそういうことがよくあるので、なるほど芝居にも影響するわなという感じ。映画フォレスト・ガンプでフォレスト・ガンプが同じベンチに座った人たちと会話をする設定になっているのも、そういうことだよねと思います。あれはリアリティがあるんですわ。

 私が世間話力を高め始めたのもそのあたりかもしれず、回り回って写真仕事をするのにもYouTubeをやるのにも役立っている気がしますが、それを旅ブログにも活かすべきなんですねえ、きっと。実際、ちょいちょい話をすることはあっても、それをブログに書いたりなんだりというのは特にしてこなかったんですが、旅情を感じる度が高い情報なのかもしれません。

パリのノートルダム寺院裏で観光写真を撮っていた女子たちに「撮りましょうか?」って聞かれて、いやむしろ俺が君たちを撮る、つって撮った写真。

旅をしていない

 世界の車窓から・特別版を観ていて思うのは、映像として眺めているこちらは、情報が流れてくるのが映像とナレーションなので、まるでナレーター(石丸謙二郎さん)が現地に行ったかのように錯覚しそうになるのですが、実際はディレクターとカメラマンとアシスタント、たいがい3人でひとチームになって動いているはずでありまして、現地で情報をメモって帰って来てナレーションの台本を書くのはディレクターであろうと思います。

 そのディレクターが、きちんと「うちの番組はこういうラインで情報を流すので」と必要な情報をセレクトしつつ収集して帰ってきているわけで、また同時にカメラマンにも「この絵が必要だから録っといてね」と指示を出しているわけで、なるほどきちんと方向性を持って情報を集めるのってテキスト的な意味でも映像の意味でも大事よねと改めて感じさせられます。

 あと事前のリサーチも重要でしょうね。
 現地に行ってから情報収集をするのも、まあインターネットがあるので不可能ではありませんが、日本を発つ前に「ここへ行ってあれをやって」と想定して手配しておかないと、現地でヘリをチャーターして空撮までやるとなると無理でしょうからね。予算があればコーディネーターを雇ってしまった方が間違いないでしょうし。

 世界の車窓からの場合、話題の中心に鉄道があるので、観ている側からするとより明快なのも面白いところだと思います。鉄ちゃんが大喜びするほど詳細な情報が流れるわけではないのですが、それでも鉄道の情報が毎回きちんと押さえられているのは鉄道軸だからこそ。

 自分が情報を流す側になったら、一体何を選択的に現地で収集すりゃ良いんだろうなあという風に考える上で対照的に見せてもらえるのは非常に勉強になります。この番組、昔からたくさん見ていた筈なんですが、意識しないとただただスルーしちゃうものですね。作る側と見る側の意識の隔たりも感じます。

自分がやるなら

 わたくしがもしも世界の車窓から・特別編集版の第2話のように南仏に行って、作品としての写真を撮る傍ら、旅レポートを写真と文章でするとしたら?

 やっぱり写真を撮る人間にとってその街がどう見えるか、というのが軸になるでしょうね。というか、それ以外にはまずありません。
 ウラジオストク滞在記はそういう意味で私から見たウラジオストク、というのを文章化することができたかなと思っています。

https://note.com/vantherra/n/n33857422de7f

 ただ、旅をブログ記事の中心に据えるのであれば、もっともっと旅を感じる度が高くなくてはいけません。

 今日ふと思ったのは、わたくしちょいちょいあちこちに写真を撮りに行っているのですが、滞在している間ずっと「写真を撮る」という作業を粛々とこなし、その都合で動いているだけで、旅をしているなあ、という感じがほとんどないんですね。自らが旅を感じないで旅を情報化することはなかなか難しいと思うので、そのあたりもきちんと整理しないとな、という風に考えています。

 そのあたりはまた次回にしますが、何はともあれ世界の車窓から・特別編集版、素晴らしく旅を感じるので皆さんも是非どうぞ。

コメントを残す