AIイラストと変態


 ピグマリオン・コンプレックスという言葉をご存知だろうか。AIに描かせたイラスト、特にグラビア的なものを生成して「人間に近いぞ!」と喜んでいるのを眺めていると、その言葉を思い出す。

 2023年現在、AIイラストはこれからストックフォト市場を席巻するだろうと言われている。ストックフォトとは、Adobe Stockに代表されるように、WEBサイトやちょっとした広告を作る際、「誰でもないが感じの良い」写真やイラストを広範な使用権ごと買うシステムである。

 誰でも良いのであれば人間である必要もない。ということは、広告を見た人がそれを人間だと認識できる程度によく出来ていればAIだろうがなんだろうが良いのだ。これは広告を見る側の民度との掛け算で決まる。AIイラストは精巧であればあるほど有利だし、民度は低ければ低いほど偽物でも消費者が気にせず物が売れるから、使用者も遠慮なくAIイラストを投入できる。

 リアルの人物でストックフォトをやろうとするとモデルはもちろん、撮る側も機材から撮影場所の確保、撮った写真の後処理とコストがかかるし、それがストックフォトの価格、すなわち使用料に反映されるが、AIはそれらをすべてカット出来てしまう。一定を超えて精巧なAIイラストに勝てるわけがないのだ。三次元の肉体を維持するのにかかるコストがそもそも膨大である。

 人物AIイラストは実質的に権利侵害だからモデルや写真家の保護のために法規制を訴えるロビー団体がいてもおかしくないが、写真の業界団体は逃げ切りを狙う年寄りのための組織ばかりなので、何もアクションを起こすことはないだろう。だからこそAI企業が日本に触手を伸ばしてきているのだろうとニュースの見出しだけ眺めていて思う。

 私はフィルムからデジタルにカメラが移り変わった頃、主要出版社がそれまで機材費、感材費を別途支払っていたのをすべてやめる、と書面で通知したのに対し、業界団体がブスッと空気が抜けるように小声で文句を言っただけでその後何のアクションも起こさなかったのを見て、彼らに対して期待することをやめた。まあ日本は労働組合も組合内部のことばかり考えて保身しかしないのでむべなるかなである。

 日本人は技術を評価しないと昔から言われているが、それは自他の権利に疎いからに他ならない。個人がやたらと権利を主張しないからこそ住みやすい社会になっている面はあるものの、既得権を持つ人間にとってイージーなのは間違いないだろう。

そういえば猫を描いたイラストもあるがそちらには一切興味がない。
やはり実在が裏付けられているからこそ猫写真には意味がある。

ポルノとしてのAIイラスト

 私が興味を持っているのは、ストックフォトとしてのAIイラストよりも、むしろポルノとして扱われるAIイラストの方だ。私の予想では、恐らく不気味の谷を超えるかどうかの、ギリギリ人間に見えないものがポピュラーになるのではないかと考えている。

 まず分岐点として、ユーザーが肌も顕なモデルの写った写真を見た際、そのモデルが現実にいる(いた)ことを求めるか、それともビットの集合で良いのかで分かれるのだろうと思う。

 つまり自分が見ている画像の主題になっている人物が、同じ地球上にいること、それを文字通り写し取ったことに価値があると考えるか、それとも実在するかどうかなどどうでも良く、ただ肌色の起伏が良い感じに連なっていればそれで興奮できるのか。

 ここで実在を求めるタイプのユーザーはAIイラストで満足することはないだろうし、時にAIイラストに興奮してしまうこともあろうが、人間であることを前提に興奮したのが裏切られた気持ちになり、そう見えるように偽装した人間を責める気持ちにすらなるだろう。イラストはイラストらしく、写真は写真らしくというわけだ。写真を撮る人間としてはなってくれないと困る。

 後者は一般の音楽リスナーが自分の聴いている曲の中で鳴っているバイオリンの音にいちいちバイオリン奏者の実在を求めないように、写真のようなAIイラストで描かれる女性が実在しなくても一切気にしないタイプである。

 ただただ目の前に置かれた画像がエロいと感じられるかどうか以外にない、眼球と下半身が直結したユーザーで、大多数は作る側も見る側も、単純にローコストだからという理由で結託できるからここに落ち着いてしまうだろうと思う。

 だが一部はさらに先鋭化し、AIイラスト作成者が自由自在に、ユーザーの興奮するであろう要素を上手く二次元化して作り出されていることを悦ぶ層が登場するはずだ。日本の変態をナメてはいけない。

 私が冒頭にピグマリオン・コンプレックスを連想すると書いたのはまさにそこで、そういったユーザーはむしろ、実在しないことも興奮する要素として貪欲に取り込む可能性がある、そうであれば必要以上に人間に似せて描く必要もない。肋骨を数本減らしたほうが表現としてよりマッチする可能性もあるかもしれない。

 人間が人間のようなものを見た時、一定レベルまで疑似化が上手く進むと、むしろ気持ち悪さを感じる不気味の谷という現象があるが、ポルノAIイラストではその不気味の谷こそを悦ぶ変態が跋扈しそうな気がしているし、それこそが一番健全な、クリエイティブな形のAIイラスト利用のように思う。

 それが悪いという話ではなく、写真を撮る人間としては単に低コストだから、権利処理がめんどくさいからというので易きに流れるのではなく、独自の面白い楽しみ方を(下手をすると性癖ごと)開発してしまうのが人間だし、またそれを楽しみにしている部分もある。

 グロテスクといえばグロテスクだが、そもそも実在の人間がモデルをやるグラビアやポルノですら、実在の度合いを下げて演じているからこそ成立するのである。本当にあんな女性がいると思いこんでいると人生が辛くなるから早く目覚めた方が良い。

 どうせ波が止まらないのであれば、AIイラストの動向も写真の世界から楽しく見守りたいものである。


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