ユニット化が正義らしい

 こんにちは。スタジオ内にスタンディングデスク環境を作りまして、「まずは人類らしく立ち上がるところから!」と基礎トレーニングの基礎を開始しております。ノートPCをサンコーのノートPC台に載せ、それを大きめの三脚に載せているだけなんですがけっこう快適です。

 座っていると、どうしてもズルズルお尻が下がっていってしまいますし、事務仕事デーの場合は下手をすると10時間以上そのままですからね。いけません。ゆくゆくはRAW現像なんかもスタディング状態でできるようにするべきなのかなあ、と思いつつ、そこまでやろうとすると抜本的にデスク周りを変えなければならないので、さすがにちょっと億劫かな。

ユニット化

 さて、私写真講師としてYoutubeでは機材寄りで好きなことをしゃべり、Vimeoで動画教材を売り、オンラインサロンでは生徒さんたちと長期だからこその写真的成長を見込んだやりとりをしております。

 その中でVimeoにおいては、ストレートな「レッスン」という形の動画をやったり、1イシュー的な「これを突破する」的教材をやっているのと並行して、写真を撮った時のあれこれを、撮った写真から解説するシリーズというのもたまにやっています。

 これが意外に好評なんですね。
 私からすると、そんなん聞いてどうすんの的な気持ちが最初はあったのですが、写真って作品としてとらえると、自分が撮った写真作品を前に技術的なことはあんまりしゃべりたくなくなっちゃう側面があるんです。

 ほら作品って気持ちを売る側面があるでしょう。コレクターも技術を買うわけではなくロマンやドラマを買う部分があるわけで、「飯食った後で暇だから散歩してたら、すっと通りかかったから撮った。カメラの設定はオート」って言われるより、「その日は朝から素晴らしいものが撮れるような予感がしていたんです。自分の体の声を聞きながら、精神の鋭さをさまたげないよう慎重に食事をし、心身が整ったと感じた瞬間に愛機を持って外に出ました。すると、向こうから一陣の風をまとって被写体が現れたんです。最初はその神々しさに怯んだのですが、一球入魂の気合で……」みたいな方がお財布の紐が緩みやすそうでしょ。

 そういうお気持ち部分をフィーチャーしてストーリーをくっつけてやらないと物が売れない市場自体、非常にダサいなと思うので私はぜんぜんどっちらけな感じで「撮れたもんは撮れた」スタイルなんですね。「俺は撮る」以上のストーリーは要らないなと思います。
 ストーリーは後から歴史家なり評論家なり、それにフジツボみたいにくっついて食わせてもらう人たちがやれば良いことで、作家自らがそこを売りにしちゃダサいだろうという。

 もちろんこのあたりのあれこれがコンテクストに関わってくるのは事実でありますが、わたくしVimeoでは「写真を撮る人間として」という職人的な立場を崩さないもんですから、とにかく撮った時にどういうことを考えていたのか、どういうことを意図して撮ったのかというのを虚心坦懐にお話するのにつとめているんですね。

 すると、そういう切り口から写真を撮る側の心情を説明したものはない、というので、写真を撮る皆さんから「実際に撮る上でリアルに役に立つ」と好評を頂いています。

 先日、ウラジオストクに行った際の写真をまとめてまたそういう解説動画を作ろうと思いましてウラジオストクで撮った写真をがさごそやっておりましたところ、自分がいかに編集能力に欠けているかというのをつくづく実感しました。

まとめる能力

 写真って、撮る時点で終われるものではなく、撮った写真をどう扱うかも大事です。

 これまでは、たとえば数日にわたってどこかへ潜伏して写真を撮ったとして、帰ってきて最低限のセレクトをし、だいたい500枚程度まで減らしたところでRAW現像をし、そこからピックアップしてまとめて、というやり方でいました。

 撮影枚数が多い場合は下手をすると1週間くらい、毎日パソコンに向かってそういった作業をやっていくんですが、そのタイミングというのは、撮影直後というほど直後でもないんだけど、かといって他人の感覚で見られるほど遠くもない、熱が冷めていない状態なんですね。

 つまり写真をセレクトしたりなんだかんだするには撮影者寄りの視点で見て選んで編集していくのですが、これがちょっと問題なんだなあという風に思いました。

 つまり撮った自分にとってどうだったか、というのは写真を撮る仲間たちにとっては身近に感じられるのですが、もっと時間が経って目が冷めた状態になってから見たほうが、写真をテーマごとにまとめるような俯瞰的な見方が出来て良いんですね。

 このジャーナルブログを始めたおかげでそのへんのワークフローを見直すきっかけになりまして、先日のポストで書いていたように、撮影しながら「ここにおるよ、今日はこんなのことしたよ」という感じでリアルタイムレポをするものと、後日しっかりまとめて記事化するのと分けてしまった方が良さそうです。

 写真を撮る人間としてはあるあるなのですが、写真を撮っている人は、撮影環境にあった、でも写真には写り込んでいない情報というのも「あるもの」として写真を見る人に勝手に伝わるものだと思ってしまいがちなんですね。

 残念ながらそれは厳しい言い方をしてしまうと撮影者の甘えでしかなく、写真は見る人たちに対して純粋に写真だけで語りかけていかなければなりません。

 文章とセットで出す場合は、それぞれ補完し合う関係になってくれるので有利ではありますが、自分が見聞きした情報の何を伝えて何を伝えないかをきちんと選択するのが大事ですね。

 それに加えて今回は、自分が冷めた目で、まるで他人が撮った写真のようにセレクトしてテーマごとに組み立てる能力が必要、というのがよくわかりました。それこそが編集能力なんだなあ、職人魂だけだとプレゼン能力に欠けるので苦手だなと放置してきたところなのですが、今更そうも言っていられませんね。

 今後、このジャーナルブログで過去に撮った写真をまとめなおして記事化するのも面白そうだなと思っています。過去写真なので撮影者目線になると思いますが、それはそれで興味を持ってくれる方もいるかもしれません。
 過去3、4年の間、あちこち行って撮った写真はほとんどが、ふらふらと迷いながらではありますが一応「作品としてのスナップ」という目的で撮っていたもので、写真をまとめる際も、要は自分のポートフォリオサイトにアップしているような全体からの抽出という形だったんですね。

 正直あんまり向いていないどころか根本的にあんまり興味がないんだな、というのがわかったもので、今後は先述のようにリアルタイム更新、まとめ記事、長期で撮ったら最後にまとめてポートフォリオにピックアップして写真のみ掲載、というのが良さそうです。

 だいぶすっきりしてきたなあ。

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