パリ市内の建物:パリ2017


 おはようございます。朝っぱらからブログ更新です。

 パリ2017、細かく撮っていたので記事化しづらいものばかりだった気がするのですが、なんだかんだでショット数はあるので同じ傾向のものを集めるコレクティブ型の記事は出来ますね。

 というのでパリ2017、再セレクト再現像編の締めくくりは建物写真です。パリ市内の建物から。

 考えてみたらわたくし、この時が人生初のヨーロッパでして、慣用句のように言われている「石のヨーロッパ」みたいのを初めて体験いたしました。

 今回再セレクトをしていて面白かったのは、現地では建物のアウトラインしかほとんど見えておらず、2017年にセレクトRAW現像した際も似たようなもので、2020年の現在に至ってようやく「あれ、こんなところに細かいレリーフが」みたいなディテールに気づいたものがたくさんあるんですね。

 やっぱり2017年の時点では、編集者の視点をもっておらず、ひたすらその場の空気を自分自身で感じながら撮るのに集中してしまっていたんだなあ、という感じがいたします。

 目がきれいなモデルさんだから目ばっかり撮っちゃうみたいなことになりがちなパリの建物、市の中心部は本当にかっこいい建物ばかりで何をどう撮っても良い感じ。しかも天気がずっと良かったので、陰影付きまくりで最高でしたね。

 ヨーロッパは緯度が低いので建物に当たる光が朝から夕方までずっと低いというのもよく言われるそうでして、なるほどだから建物の表面に彫り込みたくなるよねという感じがいたします。

 実用性以前に、どうカッコよく見せるかに心血を注いでいる感じが良いですよね。まさに被写体として最高。住みたいかと言われるとあんまりそうでもないですが、パリの人たちって私がお会いした少ないサンプルの限りにおいては、このライフスタイルを守ることにプライドを持ち、このライフスタイルごとリスペクトしてくれればガイジンでも相手してやるよ、という雰囲気。

 まあ何はともあれカメラを持っているとやたらと色んな人に大事にされて、良い思い出しかありません。住んだら色々イライラさせられることもあるんでしょうけどね。

ノートルダム寺院も物凄い彫り込み。

 そう、仕事の合間にチラチラっと撮っているので、ノートルダム寺院のキチガイじみた彫り込みを細かく撮る、みたいなことはやっていないんですよね。ものっすごいですよ、ノートルダム寺院のレリーフ群。日本は木工、フランスは石工。キリストが日本で生まれていたら大工の倅だったんだろうなという。

 記事化という点で考えたら、ノートルダム寺院の装飾を細かく撮るだけで写真ジャーナルとしてはひと記事成立しちゃうよねというのが、視点として新しいなと思います。自分自身が写真力を試す新たなチャレンジとして面白がっています。

 情緒メインで何かを書いたり撮ったりというのが非常に苦手で、音楽をやっていたときもそういえばグランジやハードコアみたいなローテクなものがもてはやされた時期に青春時代を送ったのですが、技巧がないので自分でやる気はさらさらありませんでした。

 技巧がすべてというのではないのですが、技巧があってその上で初めて成立する感情表現が好きなんですよね。そういう意味ではクラシックなんかはモロにそっちの方なので、メタル好きとクラシック好きが一部重なるのも分かる気がします。

 日本では絵画=印象派みたいに、クラシックはモーツァルトみたいなうかれた貴族のサロンミュージック的な印象がありますが、実はもっとハードでかっこいいのがたくさんありますよね。

 写真の世界でも、日本で「海外でアツいアート写真」って紹介されるものは、日本のアート界隈の人が紹介するので情緒一辺倒な感じがしますが、それは「日本の」「アート好きの」「写真好きの」という集合が重なった人が紹介しているから色が付いているだけで、現地のアートシーンで必ずしも情緒系のものだけがもてはやされているかというと、そんなこともないんじゃないのーという風に思います。

 ただ、日本語の情報を仕入れるということは、情報を選択して流す人の傾向が情緒に寄っていることに加え、日本語話者にその情報が売れないといけないもんですから、音楽にせよ写真にせよ、日本人に好まれるものでなければ(少なくともそれが見込める傾向のものでなければ)情報として価値がないということになってしまいます。

 これは朝日新聞が頭のやばい極左に見えるんだけど、実際はそういう風に角度を付けていないと商売として成立しないので、情報の選択、情報を扱う角度、報じる角度がすべて左に左に傾いた結果ああなっているのと似ているんだろうなという風に思います。

 このジャーナルブログは大多数の人に見てもらうことを前提としたマスなものではなく、Youtubeやなんかでやっているのと同様に「俺とあなた」という私と読者の一対一の関係が成立してさえいれば良いという形だと思います。
 その一対一の数をどうやって増やしていくかが問題であって、茫洋とした「マス」に向かって網を投げるようなスタイルとは根本的に違うんですね。

 とすると、どこに情報を取りに行くのか、何を撮ってどうまとめるのかを考えた際に、「大手メディアでは扱わないんだけど自分と似たような興味の持ち方をする人はたくさんいるはず」という前提で動けば間違いないなという風に思います。

 お金の面を考えても、築地の自社ビルを維持したり、社員に2000万、3000万の給料を永続的に払い続ける必要はないですからね。そう考えると勝負のしようはあるなと思います。

 このジャーナルブログでしか出来ないことをあれこれ考えているので、どんどん実現化していきたいものです。

 それではまた。


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