女性向けのメディアを見る機会があると、メディアを作る側の人達が想定している読者層、読者の傾向の違いに驚くことがあります。その理由は掲載されている商品やサービスが自分向けでないからだけではなく、その情報の向けられ方も違うから。
商業誌であれば、掲載されている商品はほぼ「売りたい」動機で掲載されているはずですが、どうやって「買いたい」と思わせるか、どうすれば買いたいと思ってくれるだろうか、の考察と、そこから導き出される戦略に違いがあるのが面白いところです。
男女とも、「欲しい」が「必要」を上回った時に購買意欲が高まるのは事実ながら、男性の場合はリアルに自分が使った時を想像し始めるともうダメ、という感じであるのに対し、女性の場合は「それを身に着けて他者から見られている状態の自分」という第三者目線を強く意識したものであることが強いように見受けられます。
そもそも男性向けのファッション情報は少なく、女性向けはたいへん多いことからも、女性が第三者からの視線をより強く気にしてあれこれ購買を決めているというのはたしかだろうと思います。そもそも第三者からの視線なくしてファッションにお金を使うことはあまりないでしょう。
これは当事者の女性が望んでいないにも関わらず、勝手に見られ、勝手に批評されるからこそ起きる不幸なのかもしれないですが、結果として女性が第三者から見られることを前提とした消費が多いことは、消費者庁による平成29年版消費者白書でも見て取れます。
女性の場合、収入総額が男性よりも少ない場合が多いにも関わらず、男性の倍近く洋服に使っています。これは使いたいのか、使わざるを得ないのか判別できないものの、第三者の視線を意識して消費するからこそ起きるギャップのように思えます。
憧れ需要
また女性向けメディアを見ていて面白いのは、女性向けメディアではモデルのキャラクターがけっこう強いんですよね。
男性の間でモデルのなんとか君がカッコよくて憧れる、という話はあまり聞いたことがありません。一部にはあるのでしょうが、男性ファッションモデルが一般的に知名度を得ることは非常に稀と思います。一般的な男性に男性ファッションモデルの名前を挙げてくれと尋ねても、スッと出てくることはまずないでしょう。
女性モデルの場合、そのモデルに憧れる人がファン層を形成するのが我々男性サイドから見ると特異な点で、男性で例えるならメディアに出てくる成金社長みたいな人に対して「あいつ金持ってるな~俺もあんな風に金でしばき回したい」という人が憧れを抱くのに近いものがあるんじゃないでしょうか。
両者に共通するのは、その人の送るライフスタイルまで含めて「いいなあ、自分もそうなりたい」と同化、もしくは自分が成り代わりたいという欲望を持つこと。
憧れる人たちのうち、一部は純粋に好き、その人が送る人生と自分の人生は関係ないものだけど好きというファン的な志向の人もいるのだと思いますが、それ以外の多くは自分もそうなりたい、出来ることなら成り代わってしまいたい、というギラギラした目で対象を見つつ、同時に崇拝するような人のような気がします。
前者をファンとするなら、後者はワナビーであり、これは写真を撮っていても顕著に違うなと思わされます。
写真のファンとワナビー
SNS写真作家をやっている人たちの周りにたくさんいるのは、ほとんどの場合ワナビーのように見受けられます。
例えば誰かが写真を投げると、ロケ地はどこですか? モデルは誰ですか? どうやって撮っていますか? というのが質問で飛んできたりします。デリカシーのある人間であれば、普通は「素敵な写真で目が捉えられた」という賛辞を先に出すのですが、欲望が勝ってしまう人というのはデリカシーがなくなりがちですから、
- どこで撮ったか → 自分も同じところで撮りたい
- 誰がモデル → 自分も同じモデルで撮影したい
- どうやって撮ったか → 自分も同じ撮影方法で撮りたい
という感じで、すべて「成り代わりたい」という欲望に基づいてのことなんですね。
これはファンというのとはちょっと違って「自分もそうなりたい」という欲望の勝ったワナビーさんですから、そういう人たちを相手に商売をしようとすると行き着く先は「この写真の撮り方を情報商材として売ります」という寂しい未来しか見えず、私の求めるものとはちょっと違うなあ、と思います。
私の場合、写真をただ写真として楽しんでもらえるのが理想であって、誰かに真似させるために撮っているわけじゃないですからね。楽しみ方は自由ですが、誰かが真似したいと思うような写真を撮ろう、みたいな動機で写真を撮ることを考えるとうんざりしますし、それは表現といえるのかしら、とも思います。
長くなったので上下に分けましょう。