NAGOYA CREAM SODA ・AFE取材記


 アメリカ文化の影響を強く受けた方を取材するAmerica in Far East、前回のCentral Dinerに続き今度はアメリカ50’s系の衣料を扱うCREAM SODAの名古屋店にお邪魔してきた。

 場所は大須の商店街の中、上前津交差点からすぐという名古屋が地元の私にとっては非常に馴染みの深い場所である。

大須商店街ふれあい広場から徒歩10秒くらい

NAGOYA CREAM SODA
名古屋市中区大須3-33-26 2F
052-251-1967

美容院の二階にNAGOYA CREAM SODA。

 階段を上がって2階の店舗に入ると今日もきっちりリーゼントの店長J.Dさんが迎えてくれる。お話を伺うと、界隈の情報に疎く、素人質問ばかり連発する私にも懇切丁寧に教えてくださるナイスガイである。

J.Dさん

 J.DさんはNAGOYA CREAM SODAの店長であり、インスタでも店舗情報を発信しつつ、ご当人もCREAM SODAというブランドおよびその周辺のカルチャーから人生に多大な影響を受けたと語る。

J.Dさん近影

 80年代、青春時代を当時火が出るほどホットだった原宿で過ごし、その中で貪欲に面白いもの、新しいものを求めた結果、それがCREAM SODA始めとするロカビリー文化であり、それが内在するアメリカ文化だったという。

 J.Dさんご自身も地元の岐阜で衣料店を営んでいたことがあり、写真を見せて頂くと思い切りアメリカンテイストである。やはりロカビリー、50’sを通じてアメリカ文化そのものに強い興味を持つようになるのは自然なことなのである。

岐阜にあったというJ.Dさんのお店。

 ただ、ウエスタン界隈の人のように、だいたいが特定の地域や年代に限られつつもアメリカそのものを希求するというより、間接的に文化を取り込んだ度合いが強いように思われる。それもまた日本におけるアメリカ文化の影響の面白い点であり、また同時に観測が難しいところでもあるように思われる。我々日本人が意識しないうちに、生活のあらゆる場所に浸透してしまっているからだ。

 そもそも50’s界隈の人が頻繁に口にする映画『アメリカン・グラフィティ』も、監督ジョージ・ルーカスが青春時代を過ごした「あの頃の」アメリカの片田舎を描いており、ファンタジーの要素が含まれている。だからこの一連の取材も、アメリカ文化の影響というより、想像される特定地域、年代のアメリカを強い憧れともに日本ナイズして取り込んでいる姿かたち、ということになる。むしろファンタジーをもとに魔改造され、本国から切り離されて独自の進化を遂げたもののほうが面白い。元祖本家争いをしても仕方がないのだ。

ストレートでない影響

 今回の取材の目的はアメリカ文化の影響がいかに日本に浸透しているか、どういう形で(特に写真に写るような見た目の面で)影響が現れるかなのであるが、J.Dさんにお話を伺ううち、話はそう単純でないことがわかってきた。

 前回のCentral Diner Kazuさん取材では、80年代に日本で大流行したチェッカーズが実はアメリカの50年代の音楽およびファッションの影響を強く受けていたというのが分かり、おかげで私の中の潜在的なアメリカからの影響に一つ気付かされるきっかけになったのだが、今回はイギリスからの影響も顕になったりと少々複雑になってきた。

 CREAM SODAは1970年代に山崎眞行という人が始めた古着屋に端を発し、そこから自社ブランドも立ち上げて現在まで連綿と続くものである。一般的には店名というよりブランドとして認識されているようだ。特にロカビリー愛好家たちの間で真っ先に名前が挙がるレベルで著名である。そのあたりの話はBRUTUSの記事に詳しいので参照されたし。

 ルポ本編を執筆する際には、CREAM SODAのようなファッション、というイメージを元に書けば読者の理解も進みやすいだろう。具体的なグッズの数々を目の当たりにして、日本の50’s愛好家たちがどういう嗜好を持っているのか、だいぶ明快になった。

 ただ、CREAM SODAで販売されているようなファッションに身を包んでいる人たちを見た時、非常に混同しやすい集団がいるのである。それはローラー族である。

 代々木公園の入り口や横浜・山下公園で踊っている革ジャン革パン、とんがりブーツにリーゼントのローラー族と呼ばれる人たちはロカビリーと一体どういう関係にあるのか、私は取材を始めるまで理解していなかったのだが、前回のCentral Dinerでの取材時、Kazuさんが口にされた「ロカビリーとローラー族は靴が違う」という言葉をきっかけに、どうも違う集団らしいという認識になっていた。

 ローラー族はロックンロールでツイストを踊る人たちと私個人としては認識しており、方々で話を聞いてみると始祖はキャロルであるらしい。なるほどYouTubeで「ローラー族」と検索して動画を観てみると、ローラー族の彼らが踊る際のBGMは日本語ロックンロールである。そもそも音楽からしてロカビリーではないのだ。

 詳しい人によればロカビリアンもロックンローラーも、双方とも一般的にリーゼントと呼ばれる髪型をするのだが、それぞれに流儀が違うらしい。なるほどロカビリアンはブライアン・セッツァーの影響が見て取れるふわふわ系だが、ローラー族は矢沢永吉をモデルにしたと思しきべったり系である。見慣れてくるとだんだん違いが分かるようになるのはカメラでも電車でも一緒だが、分類が出来るようになるのは脳にとって快楽である。

 J.Dさんも幼少期にキャロルから入ったとのことなので概要を伺ったところ、キャロルがお手本にしたのはドイツでの修行時代のビートルズとのこと。確かにWikipediaにも記載がある。

 言われてみればリーゼントに革ジャンで3コードのロックンロールというのは、映画『BackBeat』で描かれたブライアン・エプスタインがマネージャーに就く前のビートルズそのものである。日本ではそこに日本風味の不良・暴走族要素が加わって「ローラー族」になっているのだ。

 だからローラー族は見るからに不良っぽさを大事にしているし、夏の暑い日にも革製品を身につけているのは族としてのアイデンティティに関わるので儀式のようなものなのだ。血統でいえば混血の度合いがあまりに高く、ちょっと信じられないがビートルズに端を発しているのであれば英国系である。また結構柔軟に異文化を取り込むロカビリアンたちと比べるとロックンローラーは頑なに見えるし、それも日本人の「道」を好む性格が強く現れている気がする。

 私のような素人からすると、似たようなものに見えてしまうロカビリアンとローラー族が、こうして少し詳しくなることで明確に分類出来るようになったのは、CREAM SODAの店内に陳列されている衣料品が目に見えて明確な方向性を持ってロカビリーの方を指してくれているからでもある。ロカビリアンたちはお洒落だ。アパレルと音楽の距離が近いのはパンクに相通ずるものがある。

 今回の取材では、基礎的なことを伺うのに終始してしまい、J.Dさんのお手を煩わせてしまった。自宅に帰り、頂いたキーワードをインターネットで調べ直して「なるほど!」と繋がった部分が多く、ルポライターとしては素人丸出しで汗顔の至りである。

 ここで優しく、そして惜しみなく情報をご提供頂いたJ.Dさんに改めて謝意を表し、今回の取材記の締めくくりとしたい。


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