こんにちは。最近思うことを書こうと思います。
Youtubeやブログを見ると、流行りというのもあるんですが断言系のタイトル付けがたいへん多いですね。これさえすれば! みたいの。
私はああいうのが好きじゃないんです。世の中そうそう断言できることなんてないぞ、って思うんですよ。
何かについて深く知れば知るほど、そんな簡単に割り切れることはないというのがどんどん分かってくるわけで、専門家ほど回りくどく、幅をゆったり持たせた緩めの回答になってしまうのは致し方ありません。
なぜ幅を持たせるかというと、私の動画の範囲でいえば、そら見た人が自分で実証して自分のバランスを探って欲しいから、それがドンズバの正道であって、いきなり回答を教えてしまうのは見る人に失礼と思うからなんですね。
もちろんブログのタイトルにせよYoutube動画のタイトルにせよ、ひどい断定タイトルを見て内容を見て、そこから同じ人の情報を次も手にしたいと思うかどうかは個人の裁量に任されているのだから良いじゃないのという向きもあるかもしれませんが、もうひとつの問題として、私は言葉がどんどんインフレを起こすのが嫌なんです。
ですから私はYoutube動画を作って投稿していますが非常に穏健なタイトルにしています。見た人だけがわかれば良い。コマーシャルとしてやっているわけじゃないですからね。もちろん動画を見た人が私の作っている有料の教材を手にしてくれたらありがたいんですが、Youtube動画はその宣伝として作っているわけではありません。自分と合ったクラスの人が集まってくれれば満足です。
アップリンクの件
タイトル付けの話だけではなく、断言してしまう人というのはふたつの立場からの情報があるにも関わらず、片方の情報だけを鵜呑みにして断定してしまう傾向が強いかもしれない、と思うんですね。
たとえば最近、アップリンクの社長が元従業員たちにパワハラを働いていたというので訴えられましたが、諍いを他人事として見た時に、どちらか一方だけの情報を鵜呑みにして反対側を叩くのが正義だとすれば裁判なんて要らないわけでして、利害の当事者でない人間ほどそこには慎重でないといけないと思うんですね。
実際パワハラはあったのでしょうが、どの程度のものであって、というのは流れてくる情報を見ていても掴めません。
SNSから流れてくる情報が色付きである事が多い、嘘が混じっているものが多い、中立のふりをしながら一方に思い切り肩入れした人が流している、というのを我々日本人はここ10年ほどでたくさん目にしてきました。新聞ですら平気で意図的な事実誤認をやっちゃうのか、というのが分かってしまった現在、ある意味では賢くなれたのかもしれないと思うんですね。
つまり、誰かが誰かを批判したり訴えたとして、その難癖のつけかたが扇情的であったとして、そのままその主張に乗っかってフルスロットルで反対側の人を叩いて良いんだろうか? 自分が似たような状況にあるからといって、当事者が同じ状況にあるとどうして断言できるんだろうか? というようなところに気づく人が増えていると思います。
ですから私はアップリンクの件については「大変ですね」としか言いようがなく、またそれ以上に何か言及することもないのですが、ヤバい人になってくると「こちらの肩を持たないお前はおかしい」と言い出しますから恐ろしいものです。
写真の世界
写真の世界では、情報を作るのが仕事です。
この人を良い人そうに見せよう、このひとを美しく見せよう、というように情報を操作して人心を動かし、コマーシャル写真であれば物やサービスがより売れるように撮るのが仕事です。
だから余計に片一方だけの情報で肩入れしてしまうのは危険だ、と考える癖がついているのかもしれません。
ブログや動画の断定タイトルで満足できてしまう人は、自分で考えるのを放棄してしまいがちじゃないでしょうか? 断定タイトルを付けている人は、読者や視聴者に対して考える力を持ってほしくない人でしょうか?
また当事者でも関係者でもない諍いで一方の肩を持って反対側を叩きまくる人は、実際は関係のなくポジショントークをしているだけではないでしょうか?
つまらない大人
というようなことから、私は断定的な物言いはよほど明快な事柄でない限りしません。そのあたりが分かる人しかYoutubeなんかでは相手にしていませんから、コメント欄もかなりクリーンです。
見てくれている人たちに、断言断定できないグラデーションの部分から、自分のバランスで回答を導き出す力を身に着けて欲しいからです。
それってまあ、若い子からすると「父さんはどちらの味方もしないなんて冷たいよ! 大人は汚い!」となじられるような態度なんですが、自分の立場、他人の立場、他人と他人であってもなるほど立場に違いがあって利害が合致しないんだなあ、というのが普通は大人になると分かるわけで、だからこその優しさというのもあります。
その優しさというのは、お気持ちポジショントークで誰かを叩くというようなものではなく、自分と利害が一致しない人であってもその立場と気持ちを想像して「大変だねえ」と慮るものであると思うんですね。
また誰かに対して怒りを表明するのであれば、それは社会に対して必要だと信じるからするのです。
簡単にころっと騙されてフルスロットルで暴れまわる人や、面白けりゃなんでもいいやとネットプロレスをやりたがる(やらせたがる)層にはなかなか理解が難しいところと思いますが、そんなふうに考えています。
一ファンとして
ひよっこ写真道 おっさん写真道 に感謝しています
最近写真を撮ることが楽しくなってきました
出口の問題は さて置き
撮り散らかすのではなく 大事に撮りたいと思うようになりました
Youtube 楽しみにしています
ありがとうございます! そう、まずは楽しんで撮りつつ技術向上ですよ。
技術があれば出口の選択も増えますからね