日中浴衣交流会にお邪魔


 先日、普段から仲良くしてもらっているメリケンサックさとさんが、着物で日中交流するぜ、というので様子を見にお邪魔してきました。

 折しも梅雨明けか……? と思われた強烈に暑い日でありました。実際は8月に入るまで梅雨は明けない雰囲気なので気の迷いだったということなんでしょうね。

  実際は「交流会」などという堅苦しいものではなく、着物好きが集まってお茶会をしようというものだったそうで、コロナウイルスの影響で減ったり増えたりした挙げ句、仲良し5人が着物を着てお茶をする形になったようです。

コロナ感。

 おっさんからすると、何かの服を着たいと思うこと自体ないもので、「ほえー」という感じなのですが、楽しいのが一番ですね。

 被服が専門の皆さんも、お話を伺っていると最終的に糸だの染めだの織りだので工業的なところへ入っていくものらしく、ファッション界隈のお友達と話していると結局は写真・カメラとそんなに変わらないね、となることがよくあります。

 人間が服を着るっていうのは、家に住むのと同じように「できればやりたくないがやらねばならぬ」ものの上位に食い込むものでありまして、それをむしろ楽しもうという心意気は大したもんじゃない、と思うんですね。

 私自身はどれにも興味がなく、まあそりゃ住環境が快適であることは不快であることよりも良いよね、着るものもダサかったり不快だったり気温に合わないものだったりするよりは、快適でカッコ良いに越したことはないよね、という程度のものでありまして、積極的に掘り下げることはしてきませんでした。

 興味を持ちたくないとかそういう感じではなく、漫然と興味がないんですね。むしろ持ってみたいなと思いつつ、衝動的になるような出会いも特にありませんでした。これは感度の問題があるのだと思います。優れたファッションやインテリアに出会った時に、ズギューン! と撃ち抜かれるようなハートの持ち主でないということなんでしょう。

 現在はファッションもインテリアも、写真をご縁になんとなく関わらせてもらっているおかげで、優れたものについては「なるほど写真的に優れて見えるということは優れているに違いない」という迂遠な理解をするに至っていますが、根本的にはやっぱり興味がないみたいです。はい。

 かたやさとさんは、着物好きからスタートして歴史や社会構造との関係を抜きにはどうしても語れぬ、というので、noteでよくそのあたりについて書いておられます。

 たしかに女性の服って、男性の服以上に社会の構造にビタッと張り付くように形成されてきてしまっていますから、たとえばフェミニズムと女性着物の関係は気になるところですね。

 昔テレビを見ていたころにフェミニスト代表のようにして色んな番組に出演されていた田嶋陽子さんが、シャンソン歌手としてデビューした際に「私が好きで着るんだから、ひらひらの女っぽい格好だっていいのよ」というようなことをおっしゃっていたのを見て、ああこれがフェミニズムの本筋なんだろうな、と思ったのを覚えています。

 社会なりに強制されて着るのではなく、着たいものを着ることができる、選ぶことが出来る自由を得ようということなのだとその時の私は理解をした覚えがありますし、それが「自分で選んだ服を着る」というところで象徴的に表すところがフェミニストらしいのかもな、とも思います。

 おっさんの発想であればハンマーと鎌とか、やっぱりそういう発想になる気がします。

 また日本と中国、歴史的にあれこれいざこざがあったのは確かです。現在も揉めておりますね。

 先だってWikipediaの元寇の項を読みまして、あれ中編小説くらいのボリュームがあるんではないかというくらい詳述されていて素晴らしいページなのですが、元王朝は皆さんご存知モンゴル人の建てた王朝なので、現在に連なる「中国」なのかどうなのか、というあたりで意見が分かれたりします。

 話が易姓革命だなんだに及ぶとこのブログでは到底書ききれないボリュームになってしまうので避けますが、現在中国共産党は元も中国だという見解のようですから、中国とは13世紀からすでにバチバチやりあっている関係です。

 しかし何はともあれ個人と個人が交流する場においては、文字通り個と個が接するわけですから、好きなもんを軸にきゃっきゃするのが一番ですね。

 おじさんになると難しいなと感じるのは、個の集成が国になっているのは確かなわけで、政治的ないざこざにもそれぞれの立場があり、利害があって……という風に純粋に自分の立場だけで物事を見たり語ったりすることが出来なくなること。

 しかし例えば写真が好きであったり、音楽が好きであったりという文化的な面については、あまり難しいことを持ち出さずに楽しくやれるのは国を問わず同じなんですよね。

 中国人の彼女たちが日本の着物に興味を持ってくれた理由については聞く機会がありませんでしたが、恐らくその理由は政治的なものではなく、「かわいいじゃん」ということなんじゃないかな、と思います。

 私も何か面白いものを見たとき、即座に「かっこいいじゃん」で気軽に飛び込んで行けるよう、背負うものを少なくしておきたいなあ……と思うのでありました。
 背負うものが少ないのと無責任なのはまた別でしょうからね。

 というわけで、最後にレンタルスタジオに行った際よくやっている「IKEAを探せ」で締めることにいたしましょう。

 それではまた!


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