レビュー写真について考えること


 思い切りカメラ話です。

 FacebookのNikon Zシリーズのグループで以前からちょいちょい投稿されていた鄭鼎さんという方が、ニコンのWEBサイトCoolpixの台湾版で写真をたくさんアップされていました。

Z 系列鏡頭代表作,NIKKOR Z 70-200mm f/2.8 VR S 商攝作品下的利與美

 プロフィールが読んでもわからないのでアレなのですが、写真を見ているとバリバリにコマーシャルで食っている方のようで、まあほんと質が高い。

 ニコンZマウント、実際にそのへんでパチパチ撮っていても、私が使っているのはZ6なんですが、とにかくどんな時でもクリアで明快。突き詰めていくとこういう写真になるんだろうなという写真を見せてくださっていて、ある種「やっぱりなあ」という感じすらいたします。

 私はどろーんとしたイメージをニコンに対して持っていたので、Fマウントのボデーをちょちょっと使った後、Z6を買ってみたら「なんで君はそんなにいつもちゃんと写っちゃうの?」というような感じでありまして、その私がいまいち拾いきれなかったZ的な画質を、上記ギャラリーでは突き詰めて写真にされています。

 また同時に感じるところは、台湾ってずいぶん西洋的な写真がコマーシャルで使われているんだなあ楽しそう、というのと、翻って日本のコマーシャルって、貧乏だからなのか他のあれこれと同じですべて共感ベースで作られるようになってしまっていますよね。先端よりも手が届く範囲みたいな。

 とにかく低予算でインスタントな感じのするものか、共感、優しさばかりのものか、どちらかしかありません。広告ってつまらないものの代表みたいになっちゃいましたね。もともと「人が別に見たくないもの」であるのは確かなのですが、そこに予算と才能をぶち込んで「面白くて見ちゃうもの」にしていたはずが、最近では本当に見たくないものになってしまいました。

 私自身は日本を後退している国とは思わないのですが、広告を作っている人たちや、その人達に予算を割り当てる人たちが「こういう方向じゃないと無理っしょ」と後退しているのだろうなと思います。誰が、というのではなく全体的に。

 また、鄭鼎さんの撮られた写真のギャラリーはコマーシャルで実際に撮られたものを流用という形だと思うのですが、その点についても面白いなと思います。超絶技巧で撮ってRAW現像、レタッチ済みの写真をレビューとして許容するかどうか。

そのへんのお父さんが撮れそうかどうか

 確信はないのですが、どうも日本でのカメラ、レンズのレビュー写真というのは、「アマチュアのお父さんでも撮れそう」っていうのが重視されているんではないかなと推察します。

 価格コムを見ていても、我らがフォトヨドバシの写真を見ても価格コム掲示板の人たちは「アート過ぎてわからん」とのたまったりします。

 いやいやいや待って待って何いってんの、と思うんですよ。

 フォトヨドバシは純然たるレビューですよ。画質は性能のことではなく、どんな絵が撮れるかなので、それをそのままめちゃくちゃ分かりやすく、しかも見苦しくないようにちゃんと被写体を選んでやってくれているんじゃないの、という。

 ところがどうも、少なくとも価格コムの掲示板にいるような人に限っていえば、「写真技術のない俺が持った時にどうなるか」というリアル検証みたいなものを求めているらしいんですね。

 そうなってくると画質の話は意味がないのでひたすら機能の話になってしまうんだろうなと思いますし、メーカーが出すような写真も、もちろんプロのカメラマンに依頼して撮っているわけですが、アマチュアの人が「これは高度すぎて分からん」となるような写真ではなく……と、ある意味レベルを下げてもらう必要が生じるのだろうなと思います。

 メーカーから出てくるカメラの作例写真って、おそらくJPG撮りしたものだろうと思うんですよ。メーカーにより、どこまでがそこのメーカーの画質を担保すると考えているかによるとも思うのですが、基本的には「そのカメラで撮れるもの」という限定の仕方をせざるを得ず、JPG撮りで勝負してもらうことになると思います。

 しかしそれって、私みたいな人間からすると、そのカメラの性能を使い切った写真ではありません。本当の意味でどこまでやれるのかを見てみたい人間には不向きということになります。

 日本の写真人口カメラ人口の中で、限界が見たい人がどれくらいいるかは分かりませんが、これはカメラいじりと写真をやるのはちょっと違うよねの問題と通じている部分があると思います。

 つまりカメラいじりを楽しむのであれば、そのカメラでどういう写真が撮れるのかよりも、カメラを持った自分がどういう気持ちになれるかのほうが大事ですから、作例写真はより身近なものの方が良いんだろうなあ、と思うんですね。性能表はそういう意味でスパイスです。

 これは集合が重なっている場合もあるでしょうし、どちらが偉いというものでもありませんから好きな方を採れば良いと思うんですが、私はもうちょっと限界型のレビューも増えてほしいなと思います。

限界型は金がかかる

 私はメーカーと一切つるまずに、カメラを手に入れたら「ここが好き、ここが嫌い」というのをいちおうレビューという形で流しておりますが、そういった時に「このカメラでこんな感じになるよ」と見せる写真で撮影対象としているのは身近なものばかりです。そのへんの石ころとか。人間撮れてたらラッキーくらいなものです。

 それは私が別にプロのレビュワーをやっているわけではないので、いちいち予算を掛けていられないんですね。

無料被写体ありがとうございます。

 仕事に対する考え方として、Youtubeは本当に一切どことも紐付かない形が楽でええやん、と思っているので、これまで紹介したあれこれの道具はどこからもお金をもらっていませんが、カメラマンとしてはYoutube以外の媒体であれば、レビュワーやテスターのたぐいの仕事、条件が合えばやるのはアリと考えています。

 ただその条件というのが問題で、予算によって撮れるものが変わってきてしまう、というのは写真を仕事にしている人間からするとあからさまです。

 つまり、私が普段うろうろする範囲でパチパチっと撮って済むのであればギャラも経費も一番お安くまとまるでしょうが、私もカメラも限界にチャレンジして、という撮り方をするのであれば、ギャラも経費も最低限というわけにはいきません。やりたくても仕事としてはやっちゃダメですね。

 限界を目指すのであれば、人物を撮ればより良い状態を目指すべくヘアメイクさんやスタイリストさんにお願いしなければなりませんし、ロケーションだって使う光だって限界を目指すには良いものを求めねばなりません。

 それを安くやれというのは無茶な話。
 こういったことは、自分の財布だけ気にして世の中のお金の流れは一切無視の嫌儲型の人にはなかなか理解されないですが、私も自分の時間を使って写真を使ってレビュー的なことをやっている時に、そうした嫌儲型の人に得をしてもらおうと思ってやっているわけではありません。ただ自分がやって楽しくて、見た人も「へえ」と思ってくれればそれで良いんです。

 それ以上のパフォーマンスを求めるのであれば予算を作らないとね、という話。まあまともな社会人なら分かりますよね。

強制的にまとめ

 話の発端からはだいぶ遠いところに着地したような気もしますが、無理やりまとめると、インターネット日本語圏で目にするレビュー写真が身近な感じのもので占められているのは、日本人でそのカメラを買いそうな人が身近なものでないとピンと来ない、と少なくともカメラを売る側が考えていること、また限界を突き詰めたような写真を撮らせる予算がそうそうないこと、の二点でまとまるのかなと思います。

 それではまた。


1 thought on “レビュー写真について考えること

  1. 三万五千分の一 says:

    伴さん、こんばんは
    伴さんの多角的な視点からのレビューは
    とても魅力的です。限界型の贅沢なレビューも
    条件の合う機会がありましたら、よろしくお願いします。
    贅沢は、お金がかかるものですね。

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