MFTコンプレックス


 MFTコンプレックス、それはマイクロフォーサーズのセンサーが載ったカメラを使っていると、よりサイズが大きなセンサーのカメラを使っている人から「ちっちゃい、画質が劣っている」と言われることでじわじわと心の底に苛立ちがつのり、ついには「MFTはさ」という出だしを聞いただけでブチッ! とキレてしまったりする症状のこと……というのはさっき私が勝手に思いついたことです。

 そんな大げさな言葉にしなくても、たとえばホンダ・STEEDという400ccの和製アメリカンバイクに乗っている人は、よりエンジンも車体もでかいハーレーに乗っている人から「可愛いの乗ってるね」とからかわれて怒ったりします。

 ハーレーの人が余計なことを言わずに「それぞれ楽しければ良いよね」と思っていればそれで良いんですが、何度も何度もくりかえしていくと、ハーレー乗りが近づいてきただけでSTEED乗りは「おっ来るのかてめえ」と身構えるようになります。人間というのはそういうものです。腹が立つに決まっています。

 STEEDに乗っている人間はハーレーに乗りたくても乗れないんだ、という思い込みがハーレー乗りを自ら優位に立っていると思わせがちなようですが、そのあたりも含めて個人の事情なんだからほっとけや、と思うんですけどね。もちろんよくものの分かったハーレー乗りもたくさんいます。

MFT

 マイクロフォーサーズ、略してMFTは、センサーサイズが17.3*13mmと、いわゆるフルサイズの36*24mmと比べるとそりゃちっちゃいんであります。

 もうこの時点でMFTの呪縛は始まっておりまして、フルサイズ「よりも」と比較されるのが常なんですよね。これは世界にバイクがSTEEDしかなければ400ccが世界最大の排気量なので比較もへったくれもないのだけど、先行事例としてハーレーがあるのでどうしても比べられちゃうのと似ています。

 センサー性能は、あらゆる点でフルサイズの方が上です。それはもうしょうがない。MFTが勝てるのはセンサーが小さいことを活かした部分ですね。ボディやレンズが小さくて済む、手ブレ補正がより利く、被写界深度が最初から深い、焦点距離基準でいえば望遠がより望遠になる、というあたり。

 もちろん性能が優れているセンサーで撮ったから心地良い画質になるかはまた別、という観点もあり、問題がより一層ややこしくなっているのは間違いありません。私もセンサー性能だけで比較すればフルサイズ優位なのは分かっていながらMFT機が使いたくなる場面は機能の面でも画質の面でも多々あります。

 このあたりの優劣については、語られ尽くされてきた感があるのでここではこれ以上タッチしませんが、MFTユーザーの憂鬱は「比較されること」にあると思うので、このブログではそこについて論じたいと思います。

比較されること

 つまり、MFTで撮った写真と、フルサイズで撮った写真を比較すれば話が早いと思うんですよ。

 私の意見としては、絶対的な画質が要求される、いわゆる風景写真みたいなところではフルサイズどころか中判、大判みたいな撮像素子が大きいものが絶対的に有利と思いますが、別に世の中の写真がすべて風景写真というわけじゃなし、MFTの利点を活かせる写真ジャンル、撮影シチュエーションもたくさんありますよね。

 MFTで撮った写真がフルサイズで撮った写真よりも良けりゃそれで全員が納得するわけで、こりゃフルサイズじゃ無理だわ、MFTでないと撮れなかったね、と言わしめる機会が多ければ多いほどフルサイズユーザーの地位と拮抗していけるようになりますよね。だからそうすれば良いじゃん、としか思いません。

 こういう話はまたバイクで例えると、リッターバイク VS 原チャリみたいなもので、それぞれ用途が違うのに、リッターバイクユーザーはよりスピードが出る! 長距離も楽! みたいな軸で相手をバカにし、原チャリユーザーは近所に買い物に行くのにいちいちリッターバイクに乗る方がバカ、という風にお互い評価の軸が噛み合わないところが問題です。

 だから評価をするのであれば、条件設定をきちんとしましょう、という話です。

 これを楽しみという側面から見てみると、そもそも他人がよろしくやっているのに対して文句を付けるのが野暮であるというのが結論。

 逆にいえば何かを楽しむのに「より楽しいから偉い」ということはないので、楽しみという軸では比較すること自体が無駄で、より楽しいかどうかは自分の中で粛々と突き詰めていけば良いのです。変態がよその変態に「俺のほうがより変態で楽しんでる」とか言っているのを見ても、「なんだこいつは」としか思わないでしょ。

フライパンから食う

 前述のとおり、他人同士でカメラの評価についてやりあう時は、スペックを並べるよりも「このカメラでないとこれが撮れない」とやるのが一番手っ取り早いと思うんですよね。

 ただそこには、被写体の評価を抜きにして画質のみを評価できる目が備わっていないといけないので、スペックのみでカメラを買ってきて、シャッターボタンを押す遊びは楽しいんだけれど自分が撮った写真すらちゃんと見ません、みたいな人には無理な相談です。

 そういう人は「より露出度の高いおねえちゃんが写ってる方」みたいな選択の仕方をしてしまうので、それは食い物で例えるなら料理の味と食器、両方とも大事だしその調和を話題にするべきところを、どっちかだけで評価してしまうようなものです。

 つまり「フライパンから食っても味は一緒だから構わない」というタイプなので、単純なスペックだけでどつき合えば良いと思うんですね。そういう自由ももちろんあります。私も写真以外については結構そういうところがありますしね。興味がないものはしょうがない。

 そういう「味のみ、ほかは度外視」という人にとっては、MFT VS フルサイズは「こっちのほうが手ブレ補正が凄い」というような評価が軸になるでしょうし、実際そういった軸でのバトルを目にすることがよくあります。

 しかしカメラを「写真を撮るための道具」として扱うのであれば、カメラの機能や性能の話よりも先に写真の上がりを見た方が早くない? と思うんですね。

 そこでMFTでしか撮れないぞこれは、というのを見せていけば良いですし、見た側も虚心坦懐にそれを受け取れば良いだけじゃんと思うんです。まあコストの評価軸も絡むのでそう簡単にはいかないですが、ベースはこのあたりに設定するしかないと思います。

評価する人

 MFTを使っていて他のセンサーサイズのユーザーにイライラさせられる人は、結局腕を鍛えてフルサイズユーザーを凹ましていくしかないと思いますし、フルサイズユーザー(というのも便宜上分けているだけですけどね)も、自分が撮っている写真がそのカメラでないと撮れないものであるのかどうかというのを考えていくべきでしょうね。

 間違ってもよそさんが作ってくれた指標をもとに、MFTで楽しんでいる人を貶すようなことはよろしくありません。

 これはカメラに限らず、人にケチをつけるのを生まれ持った権利と勘違いしている輩もたくさんいますが、常に「じゃあお前はどうなんだ」と問われるのを覚悟しておかないといけません。

 とまあ、こういうことが理解出来ている人はその時点で常識人なわけで、聞けばペンタックスのカメラを持っていればニコンを持った爺さんが「そんなカメラ買って……。ニコンはこう素晴らしい」とか滔々と説教しに来るようなことも多々あるそうですが、常識人ばかりであればそもそもそんな事態にはなり得ず、同じようにセンサーサイズが違うからといって数字上のあれこれだけで写真の提示なしにガタガタぬかす人間というのも存在しないはずなんですが、そういうのも含めて人間社会ですからねえ……という感じです。

 それでも写真で見せていくしかありません。


4 thoughts on “MFTコンプレックス

  1. ゆさん says:

    はじめまして。
    伴さんの投稿やブログをいつも楽しみにさせて頂いている者です。
    私はしばらく前に写真を始めましたが、機材購入の参考にと某比較サイトを度々拝見しております。レビュー投稿を見る度に今回の記事のような方を多々見かけるのですが、正直辟易としておりました。
    写真という大きな括りで様々な人種がいるためこの世界は仕方ないのかと諦めてましたが、その辺の構造というか世界の仕組みというか、今回の記事で朧気にわかった気がします。
    大変参考になりました。
    ありがとうございました。

    1. 伴貞良 says:

      どうもこんにちは。
      撮れる奴が偉い! というのを基準にすれば明快で良いと思うんですよね。
      問題は撮っている人たちが見る目が無いということなんですが……じわじわやっていくしかないですねえ。

      撮って楽しむ分にはどんなカメラでもええんすわ

  2. 三万五千分の一 says:

    伴さん、こんばんは
    色々とあるけれど、先ずは比較から離れて
    気に入ったカメラで、ワクワクした気持ちで
    写真を撮ることを楽しむことが
    一番いいと思いました。

    1. 伴貞良 says:

      ほんとほんと! 比較はほとんどの場合、意味がないですからね。
      次にどんなカメラ買うかな、という意味で自分の中では比較が生まれますけど、他人が持っているカメラと自分の持っているカメラを比べても意味がないですからねえ。

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