土地のイメージを植え付けるのは誰か


 2年前、コロナウイルス流行の直前に、最後の香港の姿を撮ろうと計画していたことがありました。

 けっきょく諸般の理由で行くのは断念したのですが、2年前はちょうど逃亡犯条例改正案に反対するデモ隊と、それを鎮圧しようとする警察の間で大混乱の真っ只中にあり、この法案が通ってしまえば「あの」香港はもう失われてしまう、という空気でありました。2021年8月現在も、そこから続く中国共産党からの各種圧力に香港民主化勢力は撤退に次ぐ撤退を選択せざるを得ず、ネットからはやんぬるかな、という空気が伝わってきています。

 つい先日も、オリンピックの応援がらみで逮捕者が出たりと、共産党が締め付けをどんどん強化している様子が流れてきました。

 実際のところ、一度も香港に訪れたことのない私には計り知ることができないのですが、イメージとしては「そうか、あの香港がなくなってしまうんだな」「いつか撮りたかったな」という感じで、直線上の時間に生きている我々が人生の中で幾度となく繰り返すことになる、やらなかったことを悔やむ気持ちで一杯になりました。

あの香港、の正体

 しかし最近、旅ジャーナルについて真面目に考えていると、「あの香港」について別の側面が見えてきました。

 あの香港、あの頃の香港というのは、私のように一度も香港を訪れたことのない人間にも深く刻まれているのですが、それは一体どこからやってきたのでしょうか?

 昭和の男子であれば間違いなく一群の香港映画ですよね。ジャッキー・チェンを始めとする香港アクション映画を見て育った男子は多いですし、ちょっと文化的な方向に行くとウォン・カーウァイも香港ってああいう感じだよね、というのを世界中に強く印象づける映像作品を沢山作っています。たとえば恋する惑星の、じっとりしていながら冷たい感じのフィルムらしい色味は、世界中の色んな人達の香港ってこういう空気なんだ、というのを強く印象づけたと思います。

 これってつまり、土地のイメージをよその人にぐいぐい刻み込んでいくだけの強さが香港映画にあったということです。だって行ったことがないにも関わらず、香港と言われたらパッと「ああ、こんな感じ」と頭の中にイメージが湧きますからね。完全に刷り込まれていますし、香港以上にそうした刷り込みが強い土地ってあまり思いつきません。ハリウッドのサインやエッフェル塔のようなランドマークならまだ分かるのですが。

一次的

 私達がこれまで目にしてきた、香港のイメージを決定づけるような映像作品は、それぞれの作家たちがそれぞれの職域で「俺にとっての香港はこうだ」という定義付けをしてきたようなもの。

 逆の立場からいえば、自分が優れた作家たちの作った香港の映像や写真を見て植え込まれたような、鮮烈で明確なイメージを、今度は自分が植え付ける側にならなきゃいけないのよね、ということで、それが出来て初めて一次的にその土地を定義づけるような写真が撮れたといえるんだろうなあ、と思います。なかなかハードルが高いですね。

 あの頃の香港、を他の人が撮った映像作品なんかで見て覚えて、下手をすると全く同じロケ地で同じ撮り方を真似するのは、商売上ショートカットするという意味合いでは許されるものでしょうし、私もきっと観光地に行ったら「そう撮るしかないよね」と似たような撮り方をせざるを得ないこともあるのでしょうが、それは他の人が定義づけたものをなぞるに過ぎず、本当の意味では自分の写真にならないだろうなと思います。

 もちろん金閣寺や清水寺のように、画像検索をすればバーッと似たような構図の写真ばかりが並ぶ観光地もあり、あれは恐らく一定の角度からしか撮れないように施設側が作ってしまっているんだな、と思います。タージマハールも正面が最高にカッコ良いように作られているのがありありと伝わってきますから、そこで斜に構えても良い結果はでないのでしょうね。建築家にも「ここから撮れ」と三脚の設置場所を指定するような設計をする人がいるといいますから、観光地もそう設計されていておかしくありません。

 ですから最終的には「あの香港」を自分が作るつもりで挑もう、という心の持ちようでしかありませんが、これはあちこち、あれこれ撮る上での動きを決定的に違うものにするでしょうし、もっといえば時間や予算により巨人の肩を借りる方向で行くか、それとも自分のその土地の一次イメージを作るつもりで挑むかの分岐が明確に見えて楽になる部分もあるんだろうなと思います。

借りる

 先日アップした諏訪の件でいえば、諏訪を隅から隅まで走り回って撮る時間がないのだとすれば、先人の力を借りて写真的に美味しいところを情報収集に基づいて決め、効率良く撮っちゃうのもアリでしょうね。

 著作権どうこう以前に、同じところへ行ったからといってすなわちパクリかというとそんなことはないわけで、訪れた場所の中で自分の視点を探す努力は間違いなく出来ますし、それも写真に反映されるでしょう。

 そのあたりのバランスを取るのが、旅ジャーナル計画を進める上で面白いな、と最近思うところであります。

 もちろん可能であればじっくり時間をかけ、私のところでしか見られないその土地の姿を見てもらうのが良いなと思います。それには一箇所にとどまって取材を続けられる状況になるようにあれこれを整えて行かなければなりません。そうした運営側の勉強も楽しそうです。

次回この日に撮った写真をまとめます。

 近いうちにあちこちで撮った写真から「何月何日」と切り抜いた形での記事を連投しようと思っています。

 編集トレーニングに付き合っていただくような形ですが、再セレクトからやってみるとやっぱり面白いです。

 現実世界ではコロナ禍がより感染力の高いデルタ型の蔓延に加え、自粛疲れでもう行動に抑制が利かない人が増え、このまま行くと感染爆発に加え病床が不足するのが目に見えている状況になってきました。

 単純な話、伝染病はバイバイン(ドラえもんに出てくる、5分で物体が倍になる薬)的に2, 4, 8, 16……と指数的に感染者が増えるのですが、病床は倍々に増えるわけがありません。ベッドだけ製造してもらっても、それを運用するお医者さんはじめ看護師さんなどのスタッフがいきなり増えるわけではありませんから、もう諦めるしかねえな、という感じ。帳尻が合わないといいますか計算が合わないタイミングが来るのは当然で、今はそれをヒヤヒヤしながら待っているしかないところです。

 もう我慢できねえ! と若い子たちが外に飛び出してハイリスクな行動をするのを見ても、青春を謳歌したい気持ちはよく分かるので責める気にはならず、しかしながら重症化しにくいとはいえ一定の人に症状は出ますし、後遺症を抱える可能性もあり、また死んでしまう可能性も、コロナを運んで家族や大事な人を感染させてしまう可能性もあり、一人でも辛い思いや悲しい思いをする人が少なくあってほしいと願う以外に出来ることがありません。

 脅すわけではないのですが、日本にデルタ株を持ち込んだと言われている元ロイター通信のイギリス人記者は、自粛期間であるにも関わらずパーティーに出席して参加した日本人を感染させ、そこからバイバイン的に感染者を増やしてこんにちのデルタ株感染状況になっています。これは国境を適当に開けておいた点でも、隔離期間を当人に任せておいた点でも日本政府の責任が重いですが、当人はよほど面の皮が厚くない限り、日本でデルタ株で亡くなった人が何十人、何百人と知れば生きた心地がしないと思いますよ。実際に自分が適当なことをしたせいで日本人がたくさん亡くなっていますから。

 現在も実名どころか住所まで全部ばらされてしまうイギリスと違い、日本はその元ロイター通信の記者の氏名も何もメディアが伝えることはありませんが、伝染病とはいえ自分が無責任な振る舞いをして、それで誰かを死なせようものなら自分自身がそれを一生背負っていかなければなりません。

 分科会はじめお医者さんたちは基本的に仁の心で行動抑制を呼びかけておられます。一人でも死ぬ人を減らしたいと願う人が同じ社会にいてくれること自体、私は貴重なことだと思います。
 どうか若い皆さんは、無駄にリスクを高めて自分の運を試すようなことはしないようにして、もっと大事なところで使ってほしいとおっちゃんは思います。

 というようなことも鑑み、少しでも落ち着いて楽しんでもらえるネタを投げていく所存です。

 それではまた。


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