トラベルフォトと征服の関係


 こんにちは。コロナの影響で身動きが取りづらいまま2022年の1月が終わろうとしています。

 本当ならいま現在行っていたはずのジャーナルブログ取材撮影をキャンセルしてしまい、今週は予定がスッカスカ……だったのですが、今日は撮影依頼を頂いて撮っておりました。ありがたいこってす。

 カメラマン業も廃業したわけではないのでご依頼受け付けておりますのよ。
 そういえばオフィシャルサイトにもこのブログにも、Patreonサロンへの案内は掲載していても、撮影サービスについては明記していないですよね。元々は直接のご依頼って営業写真をやっていないので受け付けていなかったのですが、たとえばうちの製品を撮って、サービスを撮って、というお話や、プロフィール写真なんかの撮影依頼はお請けしています。そのあたりもどこかにまとめて書いておいた方が良いですね。あとプリント販売ね。

商店街まるごとお店取材とかやってみたいんですよ。

トラベルフォト

 このジャーナルブログの目的は、「あちこちに行って働く人を撮って思うところを述べたい」というものでありまして、コロナが明けたらその時々で予算の許す限り遠征して取材撮影したいと思っています。

 これまでに作った記事はこのカテゴリーにまとめてあります。現在は国内の皆さんにご協力頂いているのですが、海外へ取材撮影の手を伸ばすにあたり、せっかくよその国に行くのであれば、ついでにトラベルフォト的なものも撮るべきなのかな、と考えておりました。今日はそのトラベルフォトという言葉についてのお話です。

 例えば私的な旅スナップとバリバリの絵葉書のような観光写真やストックフォト向けの写真、どれがトラベルフォトでどれがそうでないのかはよく分からないのですが、日本語話者として「トラベルフォト」という言葉を聞くと、絵葉書観光写真的なものに加えて、インスタで誰だかよくわからない髪の長いワンピースのおねえさんが目を伏せたり後ろ姿で写っていて背景はキラキラした名所、みたいなとこまでが範疇なのかなと思います。

 つまり「わあ~旅行に行きたいな」と思わせる観光誘致写真が主ではないかと思うんですね。これは私の勝手なイメージなので、同じ日本語圏の人であっても、ちょっと捉え方が違う方がいてもおかしくないと思うのですが。

トラベルとtravel

 ところが、海外のフォトコンなんかでTravel Photograpyカテゴリーのものを眺めてみると、驚くことに全然名所でもなんでもないところを撮ったものであったり、旅行というより生活? みたいな写真をたくさん見かけます。

 たとえばこちらのTravel Photography of the Yearというサイトで毎年フォトコンを開催しているようで、過去の素晴らしい受賞作がたくさん見られます。

 Travel Photographyを「旅行写真」として捉える感覚だと、旅行をしているわたし、あなた、みたいな感覚からはかけ離れていますよね。南極で犬ぞり? 雨の中のかたつむり? という。犬ぞりの方は「そりゃ旅は旅だけど、旅行という感じじゃないよなあ」という。

 これはそもそもtravelという言葉の翻訳が違うのかもしれない、と思いました。

travel/ˈtrav(ə)l/

go from one place to another, typically over a distance of some length.
“the vessel had been travelling from Libya to Ireland”

go from one place to another through (a region).
“he travelled the world with the army”

go or be moved from place to place.
“the exhibition will travel to London, New York City, Cape Town, and Tokyo”

withstand a journey without illness or impairment.
“he usually travels well, but he did get a bit upset on a very rough crossing”

be successful away from the place of origin.
“accordion music travels well”

go from place to place as a sales representative.
“he travelled for a wholesale wine firm, and had samples of numerous South Tyrolean wines in his case”

Oxford Languages

 ざっと見てみますと、普通に旅行という意味ももちろんあるのですが、軍隊の遠征であるとか、セールス出張的な意味も含まれるようです。
 Weblio辞書のtravelの項目、名詞の部分を見てみると、

不可算名詞 旅行(すること) 《★【類語】 travel は旅行いちばん広いで,特に遠い国または長期間にわたる旅行trip は通例用事遊びかけ,また帰ってくる旅行journey は通例かなり長い時として骨の折れる旅で,必ずしも帰ってくることは意味しないvoyage は海上の比較的長い旅tour は観光視察などのための計画に基づいて各地訪れる周遊旅行excursion はレクリエーションなどのために多くの人一緒に行なう短い旅行》.

https://ejje.weblio.jp/content/travel

 という感じで、日本語圏の我々が持っている「旅行」のイメージとはだいぶ違うなという感じがします。日本語に訳されているtravelは、非常に幅広い意味を持つ言葉の「旅行」部分だけ、つまりtripあたりの意味になっていて、「旅」という言葉を使う場合、よりtravelに近づいてくるのかなという印象です。

 じゃあTravel Photographyという言葉は一体何を指すのか? と、今度はWikipediaを見てみると、

The Photographic Society of America defines a travel photo as an image that expresses the feeling of a time and place, portrays a land, its people, or a culture in its natural state, and has no geographical limitations.

アメリカ写真協会は、旅行写真を、時間と場所の感覚を表現し、土地、その人々、または自然の状態の文化を描写し、地理的な制限がない画像として定義しています。(Google翻訳)

https://en.wikipedia.org/wiki/Travel_photography

 という記述になっておりまして、とりあえずまあそりゃそうなんだろうけど、説明になっているようななっていないような感じですよね。travel photography = 旅行写真、というのと大差ありません。

 言葉を説明する上では、そりゃトラベルしてフォトグラフィーするんだから旅先で撮った写真だよ、と説明する以外にないわけで仕方がないと思うのですが、どうにも足りない感じがして歯がゆい。

 足りないところはとりあえず想像で補うしかありません。

想像するtravel

 フォトコンで選ばれている写真から類推するに、英語圏の皆さんのtravelというのは、より冒険的なところも含むし、旅先の文化を撮ったものも含むので、とにかく範囲が広いように見受けられます。

 ある意味では、住み慣れた家からある程度離れたところで撮ればtravel photographyという捉え方になっているように見えますし、同時に欧米圏の写真家たちの撮るtravel photographというのはより鑑賞者に対してアピールするもののように見えます。

 といいますか、私が「働くひとを取材撮影して」「ついでに観光的な写真もちょこちょこっと撮る」というのが全てtravel phogotraphyの中に入ってしまいそうな勢いです。

 travel photographyで画像検索すると、日本でも見かけるような絶景系もよくありますし、誰かよく分からない属人性を下げた女性の写り込んだ観光地インスタ映え写真ももちろんヒットするのですが、フォトコンみたいな場では見た人がこれまでに見たことがない世界を想像させる写真、みたいな目的が強いように思われます。

 たとえば犬ぞりレースの写真、あれを観光誘致として見る人はほとんどいないでしょうが、自分がまだ見ぬ世界で行われている面白いイベント、という見方は可能でしょうし、そういった需要が写真を見る・買う側にあるのでしょう。

 このブログでも何度も話題に上っているように日本では旅写真といえば「るるぶ」みたいな親切系観光写真か絶景系がメインになってしまうので、私からするとどうにもピンと来ないのですが、それは日本人がそういう写真を見ると旅行に行きたくなるからそういう写真を使っているだけであって、欧米の人たちは旅行に対してもっと違うイメージを持っているようです。travelの中に冒険の要素が強いのかもしれません。

遠征・征服

 またそこから見えてくるのは、欧米の皆さんは外征して領土を獲得して帰ってくるカエサル的な感覚もtravelの中に入っているんだろうなあということ。

 この時代になっても、遠く離れた異文化の地で土人が石器時代のような暮らしをしているのを物珍しげに見て喜ぶ先進国の西洋人みたいな構図がバリバリにあるわけで、travel、旅行と称する以上、それは「普段住んでいる自分のエリアとは違う」ということであり、思い切り征服の対象だもんなあ、と思います。少なくとも歴史上それを繰り返してきたのは間違いありませんし、西洋人の撮る「文明の遅れた地域」の写真というのは現在でもその立ち位置からによるものばかりです。

 学術的な面から、純粋に記録として残さなければ、という人も間違いなくいますが、アートとして買う人がいて成立する領域に近づけば近づくほど博物学的な興味になっています。そうでないと感性にフィットしないから売れない、というのは、プラスサイズモデルを起用したファッションブランドの売上が低迷した、などという話を持ち出すまでもなく想像がつくところと思います。

 つまり、写真を買う側の人たちが「そういう撮り方をした写真が欲しい」と求めるからこそ市場が成立しているわけで、そこに「人類はみな平等」とフラットな視点で撮って見せても、珍しがって買う人がいない、という状況なのだろうと思います。

 こうしたふいに出てしまう角度の付いた視線、言い換えると差別というのは、海外のフォトコンサイトを見ていてよく感じるところです。たとえば女性のポートレート写真を評価する際、白人モデルの場合はストレートに「美術」という扱いになるのが、アジア人の場合はエキゾチズムとセットでないとアートとして扱われない傾向が強いことにも現れています。

 人間の写真をたくさん撮ってきた立場からすれば、人間の写真の撮り方、見せ方そして見方には一歩間違えたら差別となるようなものもたくさん含まれているわけで、結果として写真はルッキズム以外の何ものでもありません。であれば、欧米人が博物学的な感覚で遠い国の人や土地や文化を見てしまうのは仕方のない部分はあるでしょう。日本人にもそういった面があるのは間違いありません。

珍しいもん

 取材対象を選ぶ際、ブログの読者の皆さんから見て「珍しい」ものが尊ばれるのは間違いありません。私自身、珍しいものを見てみたいと思いますし、見てみたいと思われるようなネタでないと人は来ませんからね。そこは商売上必須の部分です。

 ただ、その珍しさをどこに置くのか、どう使うかにおいて、慎重さが求められるだろうと思うのです。

 やっぱり基本コンセプト通り、「働くひとはどこの国でも自分の家族と共同体のために頑張っている」「その姿をストレートに撮る」から外れずに行くのが一番良さそうです。違いを暴き立てるより、同じ人間じゃないか、というのを推していきたいものです。

 それではまた。


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