旅写真は何が写っているかが大事


 おはようございます。今日は2021年10月18日。早いもので今年が終わろうとしている気がしてきました。急に寒くなったのが影響しているのかもしれません。

 わたくし一応写真のコミュニティに属しておりまして、写真を撮る人に囲まれて毎日を過ごしているといっても過言ではありません。コミュニティの中には思い切りカメラ寄りの人もいれば詩人のように情景を切り出すことにのみ興味あり、という人もいて、皆さんそれぞれの楽しみ方で実に結構と思います。

 私も時により場合により色んな楽しみ方をしているので、どれがどうということはないのですが、当ジャーナルブログのTwitterアカウントを開設し、そちらはそちらでこのブログに掲載する写真とはまたちょっと違ったセレクションで、旅先の風光明媚さを楽しんでもらえたら良いなあ、という風に考えておりまして、するってえと今日いきなり写真を見た人が「あら素敵」と楽しんでもらえるようにしないといけません。

 写真は見せ方が大事とよく言われます。わたくし見せるのが本当に下手なので、何をどうして良いのかよく分かりません。ただ独立メディアとして写真を楽しんでもらわないとあれこれ回っていかないので、「あら素敵」からブログに飛んできてもらう必要があり、ブログの記事をいくつも読んでもらって初めて「なるほど伴さんってそういう人なのねえ」と、ある意味仲良くなれるわけですから、最初にハートを掴む見せ方が必要になってきます。

見せ方

 その見せ方、もちろん写真を撮る時点から「どう見せるものか」を考えながら撮る必要があるわけで、その中に「何を使うか」「何を撮るか」も含まれてきます。

 私の場合、風景写真家ではないので、こてこての風景ショットを撮ろうとはあまり思わないのですが、写真1枚で引きつけるのって風景写真家のみなさんが得意とするところですよね。地味な街撮りスナップと違い、「さあ見ろ!」と捕まえるのが上手い。そのためにあれやこれや、写真側の技術も開発されていますから、私もやるべきなんだろうなという気持ちになってきました。

 またそれとは逆の方向に行く話のようにも思えますが、何を撮るかのほうが何を使って撮るかよりもよほど大事だよなとも思います。写真はまず「写っている」ことが何より大事。

 これはカメラオタク的な性向を持つ人がどうしても忘れがちなことですが、写真ってまず何より記録されていないと話が始まらないので、スマホだろうがなんだろうがとりあえずきちんとデータが残ることが大事。

 そういう意味では、大したレンズを使っていなくとも、その日、その場にいたことと、素敵な情景だったことが伝われば写真としては十分なわけで、あまりこだわり過ぎてもよろしくないなという気持ちになってきます。

 これらの写真、移動中にパチパチっと片手間で撮ったAPS-Cボデーに小さなキットズームの写真ですが、ぜんぜん「問題ない」んですよね。現地の、その日その時の空気が写っているからそれで良いんです。 

 こちらはMFTのスナップカメラに似たような小さなキットの標準ズーム。

 レンズが好きな人間からすると、もうちょっとどうにか、という部分が色々とあるのですが、純粋に写真を見るだけの立場からすれば、そんなものは甘えでしかなく、とにかく良い感じの写真が届けられるのであれば中身はどうでもええわ、というのが正直なところです。ですよね?

バランスの問題

 こういうのは、「こんなカメラ、レンズで撮りたい」という純エゴと、「このクラスの機材でないとこの質が達成できない」という職業的な観点からの選別と、「このくらいまで質が保てていれば用途的にOK」というプロらしい妥協の三つ巴のせめぎ合いです。

 同じように、カメラが軽くて小さいほど歩いて遠くに行く気になりますから、余計に面白いものが撮れる可能性が高くなり、旅記事を見に来てくれる人が増える可能性が高まります。

 そのあたりのバランスを考えて機材構成をしていくべきだし、また同時に三脚どうするべ問題も立ち現れてくる今日このごろでありました。三脚問題も奥が深いんです。

 それではまた。


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