年齢とフリーランスとアカい撮り鉄


 こんにちは。当ジャーナルブログ、ちょこちょこ手を加えております。最近はTwitterアカウントに過去記事からランダムでTwitterにリンクを飛ばすように設定いたしました。書いた自分も思いがけぬ記事が出てきて面白いといえば面白いですが、現在の24時間に1回という設定でもうるさい感じであれば、さらに頻度を下げようと思っています。

フリーランスと年齢

 Twitterの写真界隈を見ているとよく思うのですが、高校生フォトグラファーみたいな通り名を自分で付けている人がおりまして、不思議なことをするなあ、と思います。

 ネット上は各人が好きにすれば良いので、何も悪いことはないのですが、フリーランスで食っている人間からすると、写真を撮る上で年齢を武器に使っても別に良いことはないよね、という風に感じるんですね。恐らく世代の違いに加えて、活動するフィールドが違うから感じる違和感なのでしょう。

若い=可愛い

 若い子って可愛いですよ。男女関係なく、10歳も年が下になると「カワイイネーカワイイネー」という気持ちが芽生えます。20歳そこそこの子なんて、42歳の私からしたら半分くらいですから、「俺も君の年の頃はよお・・・」と目を細めて昔話をしたくなります。

 が、たとえば生徒さんとして来ている人であったり、ビジネスを一生にやる相手の場合、内心ではかわいいなあ、と思っていても、それをグッと堪えて敬語スタートなんです。

 これはフリーランス特有なのかもしれません。なぜなら個人で働いているので同僚というものがなく、部下も上司もなく、仕事で関わる人は全員が取引先だからです。生徒さんの場合はもうちょっとくだけた関係になりますが、とはいえお金を握りしめて私の門を叩いてきてくれているわけですから、当然そこに感謝と敬意があります。
 これがそのへんで写真を撮っている時に話しかけてきた若者だったりしたら「おう元気か! 若いうちは色々あるけど頑張れよ!」ってなものです。実際に会ったことのある人は分かると思いますが、本当にこんな感じ。利害のないただの写真仲間ってことですからね。

そういえば展望台、展望室に行くとよく人と出会います。

スキルベース

 フリーランスの場合、おそらくどの業種でもそうだと思うのですが、年齢も性別もへったくれもなく、スキルで殴り合うのが当たり前です。

 いわゆるクリエイター界隈でフリーランスの場合、どこかの企業が仕事を持っており、それをやってくれるフリーランスの人はいないかしら、と探し、フリーランスの側が「はい!」と手を挙げて仕事を取り合う形が基本です。カメラマンでもライターでもイラストレーターでもそれは同じこと。企業がフリーランスを一本釣りすることもありますが、特に駆け出しの頃は十把一絡げですから、先方から来るのを待っているとすぐ破産します。

 その仕事の取り合いの際に、まあコネが一番強く作用してしまうのは確かなのですが、コネが同程度だった場合、もしくは発注側が見識のある人で、完全にフラットに仕事をおまかせする人を選びたい、となった場合、どつき合う材料になるのはスキルです。

 過去の実績はそうやって争奪戦の上にもぎとってきた仕事、の結果、の積み重ねであって、まあ業界で長く有利な地位にいた人はそのキャリアパスの素晴らしさを過去の実績がキラキラと物語ってくれるわけですが、それも一つ一つの仕事を獲ってきた結果であって、べつに「若いから」実績が出来たわけではありません。

 細かいところでは若いことが武器になることも、また年を食っていることが武器になることもままあるのですが、スキルほどその仕事に対する自らの適性を雄弁に語るものはありません。よほど僻地に一人で行って補給無し、みたいな仕事があるのだとすれば、写真が少々下手でも若くてレンジャー出身みたいな人を選ぶと思いますが、そんな特殊案件は数万件に一件もないでしょう。

 ですから自ら若いことをアピールして、それと写真スキルをつなげて評価を欲しがる人の気持ちがよく分からないのですが、あれは恐らくインフルエンサーのムーブのひとつなのだろうなと推察します。

通り名

 アイドル関係には詳しくないのですが、一定の時期から「なんとかアイドル」みたいのが急増しましたよね。

 あれアイドルが量産された結果、キャラ付けしないと誰にも認知されない状態になったことで、なんでもええから属性を自分で付けよう、属性を付けたらその属性の人がファンになってくれるかもしれない、というので名乗るようになったのだろうなと勝手に思っています。
 オアシスのノエル・ギャラガーが日本に来てAKBと同じ歌番組に出演し、彼女たちを見た感想をブログに「manufactured」と表現したという話がわたくし大好きでして、AKB関連の女の子たち、まったく見分けがつきません。我々量産型おじさんと同じですね、あれは。興味がないと見分けはつかないんです。みんな若くて女子でちまちましていて可愛いんだけど、女子だねー若いねーたくさんいるねー以外に何も伝わってこないので、私の脳は個別に認識する必要性を感じない、という感じ。

 売る側としては、個別に認識されないとグループとしての売上に期待するしかないので、個人名義のマーチャンダイズその他で稼ぐためには! ピン芸人としてやっていくには! というので属性をくっつけ、個別のキャラを強める作戦に出たのでしょうね。現在ではありとあらゆる属性を帯びたアイドルがいます。

 そういう属性と個人のキャラクターの結びつけってたしかに効果がありまして、わたくし一人の社会人として共産主義に対し全く相容れないものを感じているのですが、日本共産党の山添拓議員が撮り鉄というのを知って以来、私の頭のなかに「アカい撮り鉄」という勝手に作ったフレーズでキャラクターが強烈に焼き付けられています。そのへんの路地に貼ってある山添議員のポスターを見かけるたび、脳裏にそのフレーズがちらつきます。

 それと同じように、人格や見た目に別の情報をコンテクストとしてくっつけることで、より他人の脳に焼き付きやすくしたいという意思の表れなんでしょうね、高校生フォトグラファーというようなフレーズは。

 先ほど述べた通り、高校生フォトグラファーもアカい撮り鉄も、その通り名とスキルの評価は関係がありません。私自身はフリーランスとしては変なキャラ設定をしたりすると、むしろ仕事がしづらくなるだけじゃねえかという感覚です。山添議員は『アカい撮り鉄』と選挙カーに描いて次の参議院議員選に立候補したら、票が余計に集まりにくくなるかもしれません。
 しかしインフルエンサーとして活動したい場合はアリなのかもしれませんね。

インフルエンサーと通り名

 逆にいうと、インフルエンサーとして著名な人がスキルで正当に評価されていることの方が少ないのかも、という気がしてきました。

 たとえば楽器の演奏とおっぱいを掛け合わせた方がいらっしゃいまして、YouTubeで拝見してみたところ、おっぱいの素晴らしさに対して演奏がちょっと……という感じで、こりゃスキル勝負はさせてもらえねえやな、という感想でした。クラシックの世界で本気のオーディションの際は当人が見えない状態で音だけ聴いたりするそうで、それには完全に反する形、つまり音よりも見た目で勝負している状態ですね。演奏家としては本末転倒ですが、若かりし頃ザック・ワイルドの見た目のワイルドさに憧れたことがある私としては、「芸事としてはアリ」と思います。

 今後おっぱいフォトグラファーみたいな人も登場する可能性がありますね。
 当人が賢い人で、かつ本当に写真のスキルで食いたい場合、おっぱいを武器に仕事を取っても、自分自身が写真のスキルで仕事を獲れたのか、それともおっぱい枠で採用されたのか分からない、という気持ちになって気持ち悪いでしょうから、スキルを見てもらえるように努力するでしょうね。当然SNSのアカウント名も普通の地味なものになるでしょう。

 もちろん男性であっても見た目の美醜で仕事が平均より多く取れちゃったり取れなかったり、は残念ながらあることと思います。ルッキズムに反対、という人権擁護派の人たちが思い切りルッキズムを発揮して反対派の容姿を貶めたりするのも日常茶飯事ですから、人間と見た目での差別は遺伝子レベルに組み込まれているものなのかもしれません。

 しかし建前に近いものであったとしても最初にスキルで勝負するのが、個人として仕事をしていく上でも、それを通じて社会を良くしていく上でも大事なんじゃないでしょうか。そう考えると、変な通り名を付けたり属性勝負している人はスキル面では期待できないのだな、と判断される可能性すらあります。

勝手に属性化されてしまうことも

 インターネット上で活動していると誰にとっても集客は大きな悩みと思いますが、属性キャラ付けで集客すると、来たお客さんは「そこ」しか見ない質の低い人しか集まりません。例えばFacebookで麗しい見た目の若い女性ミュージシャンばかり友達になりたがるおじさんが沢山いるのですが、そうした人がお客さんとしてコンサートに行っても、音楽を聴いていないというのはよく耳にするところです。

 これはどうやら、アイドルに属性でキャラ付けするのに慣れてしまったアイドルファンやそれに近い感性の人たちが、もともと何かを専業でやっているスキル人の中から見た目に優れた人を見つけてきて勝手に属性アイドル扱いしている形のようです。

 ミュージシャン当人にお話を伺うと、それでもお客さんだし売上に繋がるのは確かだから無下にも出来ず……という感じの方が多く、悩みは尽きないなと思います。実際、若くて美しいのは確かであり、それはそれで属性としてある程度勝手に身に備わってしまっているものですから、それを度外視してスキルだけ評価しろ、というのは難しいのかもしれません。

 それをすることこそが、音楽にせよ写真にせよ美術にせよ大事だと思いますが、ゴッホが悲劇の人であった、というドラマがセットになるとやたらと絵がよく見えてしまったりするように、人間とはそういう生き物、社会とはそういうものなのだなあ、と諦めるしかないのかもしれません。

 とりあえず私はおじさんになって社会から無視されることがどんどん増えてきたので、逆に楽といえば楽だなあ……という気持ちでいます。若くて女子だったりすると、本当にたいへん。スキルだけで勝負するのであれば、やはりブラインド化していくこと、視覚情報を売り出しの際にごっそり減らすのが吉でしょうね。おじさんの場合、ビジュアルを出しても全く売りにならないので差し引きゼロでスキルのみ勝負をさせてもらえる面があり、こいつは楽ちんだなと思います。

 私自身は、フリーランスとして相対するのであれば、相手が老若男女どういう属性であろうがスキルのみ問題になると思っています。安全管理なんかも含めスキルですからね。このジャーナルブログもそういう理念で仕事全般を扱っています。

 それではまた。


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