やる人見る人


 こんにちは。最近フィールドレコーディングが楽しくてぼちぼちやっておりまして、音を録ることと光を撮ること、照らし合わせてみると面白い発見がボロボロあって楽しい毎日を送っています。やはり豊かな人生を送るためには趣味が不可欠ですね。

 フィールドレコーディングというかアンビエント録りというかサウンドスケープ録りをしているわけですが、今回はターゲットとして「自分が作業BGMとして森や街の音がダラダラ長回しで欲しい」というのが明確に決まっておりまして、その延長線上に「自分だけで楽しんでもアレだから良い感じのが録れたらYouTubeなんかにアップして色んな人と一緒に楽しみたい」と思っています。

 写真でも音でもそうだと思うのですが、自分だけが楽しめればいいや、というのと、他の人にも楽しんでもらいたい、というのでは、出口設定が全然違うのでアプローチから変わってきます。変わらざるを得ません。どちらが偉いということはないのですが、他人にも楽しんでほしいと思う人はあれこれ配慮するので、他人にも楽しんでもらえるものを作る可能性が高くなります。

 写真の場合、被写体を記録して、家に帰って見て自分が楽しい、そして写真は特に発表もへったくれもなくHDDのなかに死蔵しておしまい、というのが珍しくありません。私も当初はカメラが楽しそう、というので写真というよりカメラ道楽的なところからスタートし、撮るものが欲しい……被写体が欲しい……というのでカメラを首から提げてうろうろしている間に仕事で撮るようになっちゃった、という経緯をたどってきたので、「撮るだけ」になっちゃう気持ちはよく分かるんですね。誰に見せるだの写真をどう利用するだのにはほぼ興味がなく、とにかく撮る行為が楽しい、という。

今日はNikon Z6で4K動画録りテスト。

 実際、今に至っても私の写真との付き合いはそこがベースになってしまっており、これは行為論としては純粋な部分もあるのですが、結果を求めない撮影では出口の設定がし辛く、「誰に」「どんな風に」喜んでもらいたいから、というところに合わせてあれこれの仕様を決めていくのが難しいのです。

 撮れるならなんでも撮りたいし、質の決定は経済性ではなく自分の気持が赴くかどうかで決める、というのは純粋な趣味として正しい形と思います。

 だからこそ、趣味としてどっぷり楽しんでいる人が、他者の求めに応じて合理的に判断し、基本的に何かを盛ることよりも切り捨てることのほうが求められる仕事としての撮影に対応出来ない、よしんば対応できたとしても気持ちの面で対応したくない、ということになり、アマチュアで良いっすわ、となることがあるのは理解できます。

 私も営業写真の世界からの脱出を図ったのは、「もっと難しいことがしたい」というのが最大の動機でした。仕事での撮影は毎日同じように同じ水準で撮ることが求められますから、変化に乏しいですし、より質の高いものを求めようとしても「この料金でそこまでやってはいけない」ということになります。
 趣味として写真撮影に情熱を傾けていると、それを売る、つまり価値を交換するために、自分の写真との取り組み方を一部あるいは全部変えざるを得ないわけで、それに馴染めない人が出てくるのは当然といえば当然です。

 今回、音を録るにあたり、出口設定が極めて明確になっているもんですから、じゃあどれくらいのクオリティが求められるだろう、というのが機材の面ではスタート地点として明確です。自分がやろうとしていることに対して、どういうオーディエンスが存在して、その人達が求める傾向はどのあたりにあるのか、というのが、私が録ったものが人と接する場になるであろうYouTubeをサッと眺めるとありありと分かってしまうので、自分が最初に立つべき位置がかんたんに割り出せてしまうのです。

 あとはそれに対して、出来る出来ない、やりたいやりたくないで足し算引き算をしていけば良いだけなので、完全なゼロベースでやるのと比べるとだいぶ楽な気がしています。仕事じゃなく趣味なので、「やりたいかどうか」基準で判断して良いのも気楽なところです。

オーディエンス像

 YouTubeで自然や街のアンビエンスを求めている人というのは、作業用BGMとして欲しいという人や、もうちょっとスピリチュアル寄りの人たちがメインで、言語の要らない世界なので世界中に膨大な数のオーディエンスがいます。

 私も古い図書館のノイズや、森の音、小鳥のさえずりなんかを聴いていると気持ちが良くなる部分があり、なんというか自律神経が乱れている時に聴いてえらく気持ちが良かったエンヤと同様の気持ち良さを求めて人が集まっているな、という感じがします。

 しかも必ずしもハイレゾでないと、オーディオ的に優れていないと、というものではなく、つまりオーディオマニアのための「音のための音」みたいな世界ではなく、用途のある音として求められています。パッと聴いたところでは作品っぽくないんだけど、その人のチャンネルの流れを見ていると「なるほどこれは表現だわ」と分かるようなことをこっそりやっている人もいて、実に渋いなと思わされます。

 またそこには「録る人」「聴く人」の明確な立場の違いがあり、ボールを投げる人と受ける人の境界がきちんとあり、基本的に一方通行になっているのが見て取れます。別にキャッチボールをしても良いのですが、オーディエンスの数のほうが圧倒的に多いので、「私はこんな音を録りました」「ほう私はこういう音を録りました」という双方向的なコミュニケーションは成立しづらい状況のようです。

 ただ、レコーディング機材の型番で検索してみると、そこにはお互いに機材紹介をしあうような形での、横並びの身内トーク的な情報交換世界もあり、なるほど写真と一緒だなあ、という気持ちになります。

写真世界は

 写真の場合、どこにどういうオーディエンスがいて、その人達がどれくらいのクオリティを求めているのか、というのが非常に見えづらく、特に日本語圏で写真を撮っていると、いったい誰に向かって写真を撮っているのかが分からなくなってしまいます。

 撮る人が撮る人に向かって投げて、それを撮る人がちらっと眺めて、でも写真の本質や撮影者の言いたいことにはタッチせず、どういう機材を使ったかどうかみたいな話ばかりになってしまうコミュニティがほとんどで、正直わたくし結構うんざりしてしまっています。ただ見てただ感じて何かを得てくれたら嬉しいんだけどなあ、と思うのですが、そっちにパワーを振っているコミュニティになると今度は自己顕示欲の鬼みたいな人たちが席巻している状態で、いやはや……という気持ちになってしまいます。
 そもそもオーディエンスがほぼ存在しない世界なので、どうしても撮る人同士のコミュニケーションで内輪で話が終わっちゃうんですね。

 写真にも環境音のように、ある意味ねじれた形ではあってもオーディエンスがいれば面白いのにな、と羨ましくなりました。

 環境音の場合、リラクゼーションとタイトルに付いていたり、脳波がどうだの心臓や血管に良いだのと言ってお客さんを特定して当てに行っている人もいますが、もっとそっけない環境音源であっても、「おい、これ気持ち良いサウンドだぞ」と嗅ぎつけた人が沢山いたおかげで再生数が伸びている動画やチャンネルが結構あるんですね。

 またそういった環境音、とくに街で録ったようなものについては、必ずしもしっかりHiFiというわけではなく、フィールドレコーディングを業としてやっているような人からすればイマイチなのだろうな、と思えるようなものでも、写真でいうスナップのように「その場、その時でしか味わえないもの」がきちんと記録されており、そのことをキーに作品として成立してしまっていたりします。

 そしてそういう作品には、ハイレゾだからどうこう、というような機材面を飛び越えた気持ち良さがちゃんと備わっているのも素晴らしいところと思います。

オーディエンス不在

 欧米圏の皆さんは、人がちょっと集まるとすぐマネタイズする印象がありますが、それは情報を受け取る側が「ここにミットがあるから投げて!」と、どういうものが欲しいのか明確だから、というのも影響が大きいかもな、と思いました。
 これは音楽をやっていた時に初めて感じたことで、「バーで生演奏を聴きながら飲みたいから」「結婚披露パーティーで新郎新婦が生演奏でダンスしたいから」みたいに需要が明確で、しかも数が多いので、駆け出しのプロがそこで食わせてもらえたりします。

 写真もハイアートのみならず、市井のレベルにまで「壁に何も飾っていないと事務所みたいで寂しいから」というような理由で写真や絵を求める人が非常に多く、求めるものが明確で、かつ数が多いので食える人が沢山出てきますし、その中で切磋琢磨するのでレベルの高いプロが生まれやすくなっています。

 日本の場合、写真でさえ作品をマネタイズするにはB to Cの関係では難しく、無理にでもキャラ付けしてそちらを先行して認知してもらうしかお金にしようがない、というのが実情です。これは鶏が先か卵が先かの問題と同じで、マネタイズし辛い環境だからしっかり稼げるプロの写真家が育ちにくいのか、しっかり稼げるレベルのプロの写真家が少ないからオーディエンスが育ちにくいのか、どちらかは分かりませんが現状は厳然として目の前にあるわけで、如何ともし難い状況です。

 とりあえず私に出来ることは、私の声の届く範囲で「写真、やるのも見るのも楽しいよ」と声をかけて、ついでに自分の写真を楽しんでくれる人を増やしていくのみですね。

 写真が気持ち良い、サウンドが気持ち良いというのがそれだけで価値を持つことが、日本社会でもっと広く知られれば良いのになあ、と願ってやみません。


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