今年の桜


 2年前の桜は「見てはならぬ桜」だなあ、と思いましたが、今年の桜はまあまあ天気に恵まれていたのもあり、平穏な気持ちで撮ることができました。

 こうして時系列順に撮った桜(ひょっとすると一部は桜じゃないかも)を並べてみると、すべてが一斉に咲いて一斉に散るわけではなく、時間差で咲いているのが分かります。

 2年前と今で比べて何が一番違うかと考えると、身近なところでも貪欲に撮りまくる執念みたいな部分かな、と思います。私にとってこの2年間はまるで眠っていたかのような状態で、あれこれ変化はあった筈なのですが、振り返ると何もなかったかのような、静かな時間でした。その間に自分の感性がじわじわと劣化していっている気がします。

 経済がよろしくなくなってくると、単純にお金がなくなるだけでなく、あれがしたいこれがしたい、あれが欲しいこれが欲しいという欲がなくなっていく、それが一番まずいという話をどこかで聞いたことがありますが、私の場合まさにその状態で、働くおっさんを撮ったり各地でフィールドレコーディングがしたいなあ、と思いつつも、なかなか動けません。

 この欲のなさが一体どこから来るのか考えてみると、結局はコロナのおかげで動き回る機会が減ったことで体力がなくなり、体力がなくなったおかげで欲までなくなっているのかもしれません。むしろスナップ散歩するおかげでギリギリ保たれているところがあるかも。

 国内での移動はあまり制限がなくなってきていますから、ぼちぼち花粉も終わりそうですし、一人ツアーであちこちフラフラして回りたいものです。

 そうやってあちこち行く際、食べるのが好きなら食レポ、歴史が好きなら歴史と絡めて、という形でまとまりやすいですが、私の場合なかなかまとまらないんですよね。その悩みはこのジャーナルブログを始めてからずっとあります。

 取材として働くおっさんが撮れるのであれば間違いなくそれが軸になりますが、そうしたカチッとした取材以外でも自分の軸でレポートが出来たら良いなあと思います。それにはまず「何を感じるか?」の、私の受け入れ態勢の問題なんですよね。写真もただ徘徊して撮り倒すだけではまとまりません。

 営業写真カメラマンから商業カメラマンへの転身の際も、写真技術の部分だけでなく結構なテンションの違い、考え方の違いがありましたが、自分で取材してブログを見てくれた人に何かを伝えるのも、カメラマン仕事とは全く違うスキルや考え方、着眼点が要求されています。

 2022年の目標は「表に出よう」なので、自分の撮ったもの書いたものをより遠くの人に届ける意味での表に出る、も実践しないといけません。まずは自分で選んで現地へ行くこと、それから現地で何かを感じることですね。


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