日本のCostcoを初めて訪れた


 愛知県は常滑市に引っ越して片付け作業の合間にスナップ撮りを楽しむ毎日を送っている。
 先日Costco、日本ではコストコと呼ばれる資本主義の果てのような店舗を訪れて衝撃を受けた。

 私が初めてコストコを訪れたのは10年以上前、アメリカはワシントン州シアトルでのことであった。コストコは会員制であり、年額にして数千円の会費を払った者のみがその門をくぐることを許されるシステムになっており、店舗に入ると巨大な体育館のような建物の内部に、なんでもまとめてお安く売っている。

 なにせ正式名称が「Costco Wholesale」である。徹底的にコストを切り詰めるぞという意思がcost、まとめ売りしまっせの説明がwholesaleでそのまま社名に入っているのだ。小賢しい名前にしていないところまでコストカット感がある。ちなみにアメリカ人にこの店の名前を読んでもらうと、tを発音しないので「コスコ」にしか聞こえない。少なくともワシントン州の人間はそうだった。

 コストコで売っているものは、そのまとめられた量が実にアメリカンで、たとえば鶏肉は最小単位が2.5kgであったり、洗剤が3Lであったりする。だから店内で客たちが押しているカートは標準的な日本人であれば3,4人は入ってしまいそうな巨大サイズのものであり、実にスーパーサイズなアメリカらしいサービスである。

 アメリカのコストコで買い物をした経験は10年以上前だったにも関わらず、体育館のような店舗のどこに何がレイアウトされているとか、どういう建材が使われているというような情報がかなり頭に残った状態だった。なぜそう感じたかといえば、日本の(愛知県常滑市の)コストコを訪れた際、建材からレイアウト、店舗内のおおよその配置から匂いに至るまでほとんど同じことに衝撃を受けたからである。

 まるでシアトルの外れにあった当時のコストコを丸ごと持ってきたかのようにそっくりで、店員たちまでまるでアメリカ人であるかのように振る舞うのである。

 しかしまるでタイムマシンのようなコストコを訪れて私が興奮したかといえば結果はむしろ逆で、初めてアメリカのコストコを訪問した時は私もまだ20代だったので大量消費ど真ん中、イケイケのアメリカ的消費文明に乗って行けたのであるが、枯れおじさんになりつつある40代の現在は、周囲の客たちが上気した肌で、まさにそのイケイケ消費文明の先端もしくは末端をレジャーとして楽しむのに対し、完全に気後れしていた。

 ひょっとするとこれは私の感じる日本の風土と、あまりにアメリカンなコストコのサービスがマッチしないと感じたことによるのかもしれないし、日本でコストコに押し寄せる客層と私の感覚がマッチしにくいからなのかもしれない。
 理由はいくつも思いつくが、フォード・ムスタングがアメリカで見ると異様にカッコ良いのに日本に輸入するちょっと微妙に見えたり、またホンダのフィットを日本で見ている分には全く違和感がないのにアメリカに持っていくと異様にダサく見えるようなものなのかもしれない。

 ただアメリカでも間違いなくこの大量に摂取して大量に排泄するようなスタイルに対し違和感を抱く人はいるのだろうし、そういう人たちが持続性どうこうという活動を始めるのも理解できる。何にせよ極端なのである。

 私個人としては、体調が良ければまた「オラオラ! 買って食って消費し尽くすぞ!」という気持ちになりそうな気もするし、トータルで生活コストが下がるのは愛知県に引っ越してきた目的の一つなので歓迎するべきところである。左翼系メディアのように、話題が何であっても斜に構えて反対の立場を採るつもりもない。消費は楽しい。私も常滑ライフを楽しみたいと思っている。


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