常滑に越してきたのは2022年の11月だった筈だから、2025年1月の時点で2年と2ヶ月ほどになる計算だ。目下のところこの土地での生活は充実度を増し続けている。楽しい。
東京から離れてみたことで、あの縦に積まれた三次元的な稠密世界が生み出すエネルギーは大したものだったと感嘆する部分もあるが、同時にその波を自ら乗りこなさなければ無駄どころか負担にしかならない。高い賃料を払ってなお都心に住む利を活かせば稼ぎは大きいが、半端にやると辛いばかりだ。疫病にも弱い。
思い返してみると、人が多すぎて朗らかな人も朗らかでいられなくなるような、精神の削り合いになってしまうところがあったなと思う。海外に出かけてキャッキャと写真を撮って帰ってきても、成田空港に着き、都心に向かう電車の中でどんどんいつもの不機嫌モードになっていった自分を思い出す。あれは一体何だったんだろうと思う。もともと愉快な人間ではないと自認しているが、それに輪をかけて容易に不機嫌になっていた。そういう街なのかもしれない。
だからその削り合いに勝ち、なお利益を確保出来るような剛腕スタイルで暮らす人には向いているが、私のようにあまり欲がない人間にとっては、常滑のようにのんびりしているところのほうが向いている気がする。









もちろんこうしたものは気分の問題であって、性向や仕事の仕方が変わればまた違うことを言い出す可能性は多々あるのだが、少なくとも現状では常滑の生活や、徐々に築かれだした人間関係に満足している。
ただ暮らしているだけではフリーライダーになってしまうので、少しは常滑市に貢献したいものである。