Fujifilm X-M5 + XC 15-45mm F3.5-5.6 OIS PZ

 どうしても欲しくなって買った久々の富士フイルムのカメラにくっついていたのがこのレンズ、 XC 15-45mm F3.5-5.6 OIS PZである。いわゆるキットレンズというやつだ。

 ボディーへの評価は別の機会にするとして、このレンズ、各種レビューでは結構写るような話だったので手に入れてみたが、結論からいえば広角はしっかり写るが望遠側でAFがほとんど合わない。どういうことだ。

 2週間ほどみっちり使った結果、X-M5自体のAFがさして強くないのが判明しているが、「それにしたって」というネガティブな性能だ。望遠側でAFがたまにしか合わず、しかも謎ブレまで発生する。ブレについてはひょっとするとOISと協調して発生しているのかもしれない。

 そういえば以前フジのカメラを一旦諦めた際も、X-T20だったかの小さなボディーから使い始めて、大きなレンズが使いたいので大きなボディー、とX-H1まで行ったのであるが、結局AF性能はボディーが大きくなろうが全然上がらないのに疲れて売却したのを思い出した。

 今回使ってみたX-M5は、そのあたり覚悟した上で、むしろ不便やエラーを楽しむカメラとして購入しているので、このボディーに留まる限りにっこり笑って許せるのであるが、さすがに「ほとんど合わない」というレベルの打率には驚かされた。

 私が入手した個体が悪かったのかもしれないが、他の個体を手に入れて比較テストをする時間がもったいないので、このレンズは旅先に一応持っていき、どうしても広角でないと困る状況で使うための保険レンズとして扱おうと思う。

 実際、小型軽量で廉価な広角端焦点レンズとして見れば、十分に元が取れるのである。

その他のネガポイント

 ついでに他のネガポイントを挙げておこう。

 ピエゾ式のズームリングは感度が悪く、同じピエゾのOM製M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZと比べても明らかに使い辛い。任意のところで止まらないのだ。

 電子沈胴は動作がもたもたしており、ボディーに取り付けて通電しないと沈胴しない不便さもあって、軽快にレンズ交換しながら撮影が進められるものではない。付けっぱなしの運用がベターだが望遠は使えないので、いちいちボディー側の電源をオフにしてからでないと交換できない厄介な単焦点レンズという扱いになる。

 また手前側の幅が広いズームリングの先にもうひとつ幅の細いリングがあり、これもズームリングとして動作するのであるが、こちらは幅広のズームリングよりもさらに反応が悪く存在意義が問われる代物だ。

 型番にOISが入っているが、面白いくらい効かない。しかもレンズにはスイッチ類が一切ないので、ボディー側からOFFにするしかなく、他のOIS付きレンズとの運用が難しい。
 フジはOIS付きの望遠レンズを使ってみると気持ち悪いくらい手ぶれ補正が効いた覚えがあるのだが、このレンズは「型番に書いてあるだけ」のOISとしか思えない。

 というわけで、珍しくケチョンケチョンに近い形になったレビューであるが、「ちょっと暗いんだけどとりあえず写る」「安い」「軽い」というキットレンズ本来のポジションで役割を果たしているので、望遠側でピントが合わないのも、フジの描写に他のメーカーにはない柔らかさを期待している人にとってはアリなのかもしれない。

 ひょっとするとキットレンズとして初めてフジのレンズを手にした人に対してフジの思想を叩き込む役割を担っているのかもしれない。ニコンとは逆の発想だが、それはそれで尊重するべきだ。

これはネガなポイントが上手く活きたカットだと思う。
むしろ機材性能でパリパリに撮れた写真より印象的で、これこそフジに求めているものである。

 実際、写真を見るのは人間の感性なのだから、ピントが合ってさえいれば良い写真になるというわけでもない。鑑賞サイズだってバラバラだ。

 仕事の写真では、ピント含め各種の「ちゃんと」を常に達成している必要があり、そこに囚われて趣味の写真でダイナミックなことが出来なくなりがちだ。そういう固定観念的なものを破壊するためにX-M5を購入したので、このレンズにも案外悪い印象がない。

 もし購入を検討している方がいるとしたら、フジ性能に対する適性を問われる踏み絵のようなレンズであることを先に申し上げておきたい。フジを愛せるのであれば、このレンズも愛せる。ダメならよそへ行ったほうが幸せになれるかもしれない。そういうレンズである。


 というわけで、Fujifilm X-M5を購入したのをきっかけに、このブログでまたレビュー記事を掲載することにした。

 理由は最近X-M5を買う前後、久々にフジ関連の情報をネット上で探してみたところ、フジの作例、特にストレートな色味のものが少ないこと、そもそも記事の総量が少ないことに加え、私自身大量に作例的写真を撮るのに死蔵するばかりでもったいないことや、AIにカメラやレンズの型番でテキストを書かせて、それを大量に掲載するだけの倫理レス銭ゲバブログ記事が増えていることから、一次情報をネット上に増やす目的もある。

 AI華やかなりし時代に、著作権問題含め何がどうなっていくのか、テクノロジーに疎い私にはよくわからないのであるが、とにかく一次情報がないことには話が始まらないだろうと思う。

 読者諸兄には今後とも温かいご支援を賜りたく、衷心よりお願い申し上げる次第である。