近江八幡に紀行文の取材に行った時から、文章に関するアイディアは紙にメモを取るようにしている。これが大変良い。
スマホやPCでメモを取るのに対し、当然ながら目に優しい。この20年ほど、あまりに液晶モニターを長時間見すぎて目がおかしくなってきているので、紙に逃がすのは妥当だ。またタイピングやフリック入力と手書きでは使う脳の部位が違うらしく、思考がまとまりやすい。
毎週プールに行っている友人にそのことを話したら、タイピングの場合は、目と文字が現れる場所が離れていることがよろしくないのかもしれない、と言い、なるほどと思った。たしかに紙に書きつけていると、ペンの先から直接文字が現れるのがリアルタイムで見られて、それが脳に良い影響を及ぼしている感じがする。
趣味とは振動のことではないか説を勝手に唱えている私としては、ペン先から伝わる紙とペン先の触れ合う振動が手を伝って脳に快感をもたらす部分もあるように思う。
しばらくデジタルでの文字入力に馴染んでから手書きを振り返る、というのは「紙の本」というようにレトロニム的な趣があって面白い。
デジタル時代だからこそ、紙に書く行為が「要らぬことをわざわざする」エンタメ扱いになっている部分もあるのかもしれず、それはデジタル写真全盛の時代にわざわざフィルム写真をやるようなものなのかもしれないと思う。
手書きの場合、どれだけ達筆であろうとデジタル表示したテキストと比べて文字にばらつきがあるのも良い点だと思う。一文字一文字書く度に、また単語ごと、文章ごとによく書けた、今回は駄目だったと素振り的感覚になるのも楽しいし、純粋に紙にインクが走って文字という図形を形成していくのを眺めるのも良いものである。万年筆マニアの気持ちが少し分かる。
書いた後の情報整理にしても、デジタルの場合は後から加筆修正がどれだけでも出来るし、段落ごとに並べ替えたりするのも自由自在だ。利便という点ではこの上ない。
しかし、だからといってそれが見やすさ、アイディアのピックアップの容易さに結びついているかといえば、意外にもそんなことはない。デジタルのメモ帳は寸分の狂いもない文字が並ぶために、情報が埋もれてしまいやすい。
その点、手書きの方は文字の並びやテンションも情報の強弱を示すサインになるので、後から見て「これは」とピックアップしやすい。これは意外な利点だった。
出先であれこれメモするのに、ボイスレコーダーや、ボイスレコーダーに自動文字起こし機能が付いたものがあり、そういった製品をYouTubeでレビューしないかと声をかけてもらうこともあるのだが、私としてはそれらに逆行する形で紙メモの便利さを見出してしまったので、しばらくこの形で行くつもりである。
